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言葉の暴力は心ではなく脳を傷つける

言葉の暴力は心を傷つけると
言われるが実際は脳を傷つけている。

相手の正常な判断力を奪い
認知力をあやふやにさせる。

バットで頭を殴れば犯罪だが
言葉で脳だけ殴れば犯罪にならない事が
多い。即ち犯した罪を理解できない。


ここからは余談。
例えばメスで2センチ皮膚を切ると何針縫うか。
想定できても、言葉で相手の脳を切ると
どのくらいの傷か分からない。

傷つけられる側にも問題が抱えられている。
もちろん悪いのは暴言を言った側であるが
逃れられないには理由がある。

暴言の被害に遭った人は
「相手を受け入れてあげよう」
「相手に嫌な顔をさせたくない」
「自分が受け入れなければ、
 誰がこの人を受け入れるのだろう」
「ワルイノハ、ジブン…」

こうした傾向の人もいる。
根底にあるのは「現在」ではなく
「過去」にあることが多い。

例えば精神科でカウンセリングを重ねると
幼少期や思春期に周囲との関係が
上手くいかなかったり、虐待にあったが
立ち直れないまま大人になった人もいる。

中には発達障害で敏感な感性であることを
放置されて、生きづらさを抱えたまま
大人になった人もいる。

支援の大切さを感じるが、
ニュース等にあるように本当に支援が必要な人は
声を上げないので非常にわかりづらい。

自分の脳を守れるのは自分だけである。
しかし肝心の脳は正常な判断ができない状態だ。
「傷ついている」ことにすら気づけず
奈落の底へたどり着いた時には
取り戻すには莫大な労力と期間が必要になる。

忍耐力が足りないわけではない。
耐えれば各々の限界に達すれば溢れる。

目先を変える必要がある。
目の前にいるのは暴言者だけではない。
右へ左へ、
上へ下へ、振り向いて欲しい。

切り捨てながら前を向くことで
「今」から離れられる。

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