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頭部と末端は痛いのだ

とにかくケガの多い子だった。

遊びに出ては気づかぬ内に血だらけになり、その血を見ては泣きじゃくる。そのくらいならば、まだかわいいものだが、医者に行かなきゃならないケガもとにかく多数。ある日、9つ離れた兄貴の自転車の後ろに乗ったら、左足を車輪にぶち込んで何十針か縫った。弟の血だらけ足を見て、兄貴は血の気が引いただろう。当然、兄貴は両親にコテンパンにしかられるわけだ。

「もうお前の自転車には乗せちゃならん!」と叱った父。なのだが、その数ヶ月後、今度は自分のチャリで同じことをやるとは考えてなかっただろう。なわけで、左足甲、右足アキレス腱あたりにはなかなかな縫合痕が残っているのである。ちなみに、かかりつけの病院の外科医に「ボウズ、また来たな!」と言われた記憶は今でも覚えている。

まだまだケガの記憶はある。
兄貴のスケボーにまたがってころがっていたら、何かに突っかかって急停止。慣性の法則が働き体が倒れ、唇を裂傷。これまた縫ったな。ちなみに、頭部のケガはけっこう痛い。他はあまり覚えてないけれど、これは痛かった。歯医者への潜在的恐怖はこれで強まったんだと思う。

小学校に入っても、その癖は治らず。小1には、体育の授業中に平均台から落下。床にエルボードロップをして、左肘骨折で手術をしている。さらに中3では、交通事故でまたも左手骨折。大学3年生の時には硬膜下血腫なる頭部の病となり、頭蓋骨をドリリングする手術。この時はさすがに死ぬかと思ったが、術後24日で退院という当時の頭部手術者記録を作っている(主治医談)

それ以来、ケガはないと思っていたのだが、7、8年前に草野球でキャッチャーをしていて、カーブをとりきれず右手人差し指を骨折。頭部だけでなく、末端も痛いということを知る。頭部と末端は痛いのだ。

自分は何針縫ったのか。
普通の人は覚えているだろうが、120針くらいを超えてから覚えてもいない。

すでに死んでしまった友達もいるが、なんとか生きている。それしても親に心配かけたな。今更ながら、反省している。

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