平行世界の存在とリアルに出会えた奇跡

これはスピリチュアルであってスピリチュアルではない話だ。
おそらく大半の人には意味のない記事だが、私の備忘録として残す。

さて、先日このような記事を書いた↓↓↓

この記事の冒頭だけ読んでほしい(笑)
突然納得した、とあることに触れている。
冒頭以外は「なぜ沖縄旅行しにいくことになったか」についてなので特に読む必要はない(笑)

今回はその冒頭部分をもう少し具体的に書いてみようと思う。

これを体感したのは実はとある人物と会ったから、というのが非常に大きい。

とある人物を仮にAさんとする。

Aさんとはいわゆるネッ友の部類に入ると個人的に思っている。

Aさんとは不思議とシンパシーを感じることが多かった。

生業に対しての考え方やスタンスがとてもよく似ていたからだ。

それまで他人には理解されなかったこともAさんは「わかる! 同じ!」と言ってくれることも多々あり、私は無意識に自分とAさんを重ねていたように思う。

ネットだけでのつながりのままだったら、私の意識もそのままだっただろう。

しかし、やはりご縁があったのだろう。Aさんとリアルで会う機会があった。

Aさんと会い、酒を酌み交わし、話をする中で私は不思議な感覚を覚えたのだ。

目の前のAさんは、当然ながら私とはまったく別人だ。
容姿、年齢、性別、仕事、家族構成、住まいなど全てが何もかも違う。

けれど、どこか自分自身を重ねて見ているような不思議な感覚。

頭では別人だとわかっているのに、Aさんの姿に重なるように自分の姿も見える。

その不思議な感覚のまま話していて、私はAさんと自分の決定的な違いを感じた。
それを感じた瞬間、それまでモヤモヤとした不思議な感覚が強烈な感覚となって脳を飲み込んだ。

あれは本当に強烈だった。
そして同時に納得もした。

ああ、Aさんは平行世界の自分であり、過去を生きた自分であり、だからこそ別人なのだ。

と。

Aさんと私の決定的な違いは高次の存在に対しての接し方だ。

私は高次の存在のメッセージにはまず否定から入る。
「え? 何で? どうして? 理由は?」と割と細かく追求するし、追求した挙句「やりたくないからやらない」とぶった斬ることが多い。

それもこれも高次の存在に消えない否定的な感情が私の中にあるからだ(笑)

だから鵜呑みにはできないし、したくない。
高次の存在からの言葉通りに事が運んだ時など、散々そうならないように悪あがきした挙句「( ºДº)キーッ、今回は私が負けたからあなたがたの筋書き通りだけど次は負けないから!」と妙に負けず嫌いを発揮したりする。

だから高次の存在は私以外に自分たちの言葉がわかる私の知人たちに「蓮がまったく言うこと聞かない、何とか言ってくれ」とか頼みにいったりすることもよくある。

それくらいには私は基本高次の言うことは聞かないし、交換条件をだしてそれが通らない限り動かないとかを大真面目にやるのだ。

しかしAさんは違う。

高次の存在からの言葉を素直に聞き、受け取るのだ。

そしてそれは何回も過去生で巫女をしてきた私がかつてしてきた生き方でもある。

私は今生でその生き方は選ばなかった。
Aさんは選んだ。

けれど私がもし今生でその生き方を選んでいればAさんのように高次の言葉を素直に受け止められていただろう。

何せ私は「セッションの時に後ろさんが手伝うって言ってるよ」と友人たちに異口同音に言われた時に「手伝わなくて結構。今まで手伝うの手の字も言わなかったくせに友人の前だからって良い子ぶるな、手伝うより先にまず私に謝罪した上でお詫びの品の1つも持って来るのが先だろうが!」と高次の存在にキレ散らかしたくらいである←

Aさんを見ていて「ああ、高次の存在はAさんのように素直な人が好きだよな、私みたいな喧嘩腰の人は嫌われているだろうな」と少しだけ悲しくなったが、態度を改める気はないのが困ったところだ←

話がそれたが、Aさんとの決定的な違いを感じたあとに、実は私は楽になった。

「私は私のやりたいように生きればいい」と思えたからだ。

私はAさんにはなれないのだ。
なのに私はAさんと同じ場所を目指そうとして四苦八苦していたのだ。

けれどそれは私の生き方ではないから、目指さなくていいと理解して楽になった。
そしてやりたいことが明確になった。

Aさんは紛れもなく私のキーマンだったのだ。

この出会いに感謝をしたい。

そして各々が目指す先にたどり着いた、またはその途中でまた酒を酌み交わしたいと私は勝手に楽しみにしている。

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