⚠️注意⚠️自分がどうすべきかを他人に聞いてしまう人は他人軸な可能性あり!
こういうつぶやきをしました。
普通にセッションしてても「私はこれからどうすべきですか?」と聞かれることがままあります。
「私どうしたらいいと思う?」のつもりで聞かれているのは分かります。分かった上で私はあえて「どうすべきかは私が決めることじゃないので分かりません」と言ったりします。←だいたいこれで絶句される
私はヒントやアドバイスは出せますが、先生でも保護者でもないので「こうすべきです!」のような強い表現はしません。「こうしたらいいと思うけど、どう?(やるのは)難しい?」という表現になります。
これ、何でかというと他人に「どうすべきか」と聞いてくる方はだいたい指示待ち族で依存心や依頼心が強く「自分で切り開いていくんだ!」という気持ちが薄いからです。
依存心や依頼心が強い人というのはたいてい受け身で、他人軸で生きています。
他人軸で生きている時、人は重要度の高低に関わらず自分で判断しようとはしません。というかできないんです、怖くて。
判断し決断するということはそこに責任が生じます。
その責任を負う気持ちが薄いから判断や決断が苦手なんです。
あとこちらにも書きましたが↓↓↓
人は基本的に受け身な方が楽なんです。
だからわざわざ自分で責任を負い判断や決断をするなんて疲れるめんどくさいことはしない……というかできないんです。
それだけ心が疲れているということでもあります。
けれど、私のセッションは全て自分軸で生きるを推奨しているので「現状打破したい!? OK! 変えるために頑張って行動しよう! 蓮のおすすめ行動はこれだよ!」と提案、宿題を出すところまでしますので、そもそも合わないと感じるでしょう。
また言葉のあやとして「~すべき」を何の気なしに使っているならば無意識に自分の中に「変化を求めるならこうあるべき」みたいな思考があったり、無意識に相手(セッションの場合は提供者)に判断を委ねることで責任回避をしようとしている(自分を守ろうとしている)と考えられますので、まずは思考のブロックを外したり責任回避しなくて良いような前準備をすることが先決です。
私は「どうすべきか?」という言葉に強い違和感を感じ、またなぜその表現を使ったのかなという切り口で掘り下げようとしますので他人軸の方には怖いと言われることもしばしば(笑)
他人軸が悪いわけではありません。
人間誰でも多少なりとも他人軸で動いているものです。
でも、自分の行動を自分で考え判断せずに他人に丸投げしようとついしてしまうなら。
それは少し考えた方がいいと思いますよ。
他人が自分のことを心底考えたことばかりアドバイスしてくるかなんて分からないでしょう?
もしかしたら他人の都合のいいように動かされてしまうかもしれない。
他人軸で生きるとはそういう怖さと紙一重だということは知っておいた方がいいと思います。
自分軸で生きることを考えるメニューはこちらから↓↓↓
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