【幕間「彼の話」】(私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界)

※本記事は〈アレ★Club〉の検閲の元公開されております。

※このお話は基本現実に即していますが、多少改変された部分があります。


昔々、あるところに「さいむ」という高校1年生がいました。

正確に言えば、彼は当時「さいむ」という名前すら持たなかった、ただのありふれた高校1年生でした。ここでは仮に「彼」としておきましょう。

彼は幼い頃から人間というものに本当に興味がなく、その場にいない人間と死んでしまった人間の区別などつかないとずっと思っていました。そういう世界の中で、自分が生きることの意味さえも見出せず、享楽的に生きていました。
毎日楽しいことをして、楽しそうに笑って、そうしていれば1日が終わることをいつも望んでいました。

高校に入学して間もなくのことです。彼は高校生の部活で、とある文章執筆系の部活に入部しました。その部活は文科系かつ創作活動系の部活ながらとてもハードで、月に2回学校に関する会報を発行していました。彼は人と交流するのは苦手でしたが文章の読み書きは好きで、特に人の作ったものに触れる喜びを確かに持っていました。

ゆえに大した決意もなく、何となく文章で遊びたいという気持ちだけで彼はその部活を選択しました。ところが入ってひと月もしないうちに、同期の新入部員のほとんどが退部してしまいました。案の定、高校生が何の覚悟もなく身を投じるには、その部活は忙しすぎたのです。彼は持前の鈍感さでその厳しさを乗り切りこそしましたが、「あぁ、結局こうなるのか」と非常に冷めた思いでその状況を眺めていました。

ところが、そこに彼以外で部活をやめていない1年生がもう一人だけいました。

そして、それが全ての始まりでした。

彼女のことを、三年間通して最も呼んだ愛称として「部長」と呼ぶことにしましょう(部長になったのは2年のときですが)。「部長」がやめていないことを彼が知ったのは、他の1年が悉くやめたことを知らされた少し後のことでした。「ふーん、そういうこともあるんだな、その子も可愛そうに」と、彼はそのときぼんやり思っていました。「どのみち自分には関係のないことだな」とも思っていました。

その次の日でした。部活動が始まってしばらくした頃、唐突に「部長」が尋ねてきました。「あなたはまだやめるつもりはないの?」とまぁ、そんな内容でした。

そしてそう聞かれたとき、その「部長」の目を覗き見たとき、彼は薄々と全てを察しました。

目の前にいる人間は、自分よりもずっと冷めた目でその全てを俯瞰しているのだと。

自分という人間の底を、限界までも見通されるような冷徹さと諦観がそこにありました。

自分のような享楽に走れる程度の諦観など生温い、本当の冷たさを感じました。恐らく自分のことなど、その一切を見透かしているに違いないと直感しました。

彼に嘘をつく勇気はなく、さりとて決まった方針などどこにもありませんでした。

「……ここにいるつもり、だけど」という保留だけが彼にできるせいぜいの返事であり、そしてそれは「そう」と、素っ気なく受け入れられました。

そうして、たった二人の1年は部活動へと本格的に参加することになりました。

そこで分かったことは、「部長」はその全て(当時の彼にとっての範疇の全て)が彼よりも遥か高みにいる存在だったということでした。

執筆する文章はその全てが冴えわたり、勉強をすれば学年1位をあっさりと取り、体が弱い以上の問題など何も無いように見えました。聡明で、達観し、全ての物事を淡々とこなしていきました。彼はその全てに追いつくことができませんでした。

彼は恐怖しました。自分よりも冷めた目でこの世の全てを眺める人間が、彼の「全て」を凌駕する性能で、彼と同じ空間にいることに耐えられそうになかったのです。1年は他に誰もおらず、逃げ場はありませんでした。そもそも「ここにいるつもり」という言葉が彼自身を縛って逃しませんでした。

何よりも恐ろしかったのは、そういう「部長」本人が、彼がその部活という空間にいることを心の底から許容しているかのようであったことでした。「部長」は同年代とは言え、彼を責めることがなかったのです。

彼は自分の浅はかさや無能さをまともに見た上で、なお自分という人間を見限らない人間がいることに驚き、それに対して何も報いることのできない自分がなお一層怖くなりました。彼はやけっぱちになっていきました。自分の無能さと、優しさとのアンバランスから逃げるために享楽的に、自分を誤魔化して、ヘラヘラと笑うばかりになりました。

そんな彼の自暴自棄を見かねて、ある日部活の顧問の先生が彼をとっつかまえ、説教を行いました。それはこんな内容でした。

「お前はそうやって開き直って自分を諦めていると、この先どんどん取り返しのつかないことになる。今少しでも頑張ればそれを緩和することはできるかもしれないが、やるかやらないかはお前次第だ」
「まずは部室のゴミ捨てから始めろ。集団の中で役割を果たせ。そうすることでしか受け入れられない場所があり、そうすることで初めて手に入れられる居場所がある。泥臭く生きていけ」

おおよそ1~2時間程度の説教であり、正に人間をどうにかしようとするための、苦闘を目の当たりにした彼は、その教えを自分のものにしようと決意しました。

彼は部室のゴミ捨てを皮切りに、部活の雑用をするようになりました。そうして集団の中での役割を持つことで、自分をなんとか部活に繋ぎ止めようとしたのです。

そうして雑用によって何とか身が持ちそうになった頃のことです。

「部長」が、彼に好意を持っているとしか思えない行動を取るようになりました。

これには彼も本当に参りました。自分は好かれるようなことを本当に何もしていません。

何故なのか? そんな疑問も解けぬまま、彼は「部長」に成すがままに振り回されるようになっていきます。

このとき、結局彼は一度として彼女の思いに応えることはありませんでした。そのうちの一つは間違いなく彼がビビったからですが、決してそれだけでもありませんでした。

ある日、彼は「部長」の小説を読む機会を得ました。「部長」本人が望んだものでした。

小説の内容は、主人公の「僕」が鬱々とした世界の中で死という概念に浸り、そして自らの死を選ぶお話でした。「部長」が作る小説はシナリオの幅こそあれ、おおよそそのような話ばかりでした。それを、「部長」は心底の笑顔でもって彼に読ませ、感想を求めました。彼はいっそ狂いそうでした。

その理由を辿った経過は割愛しますが、彼はその背景にやがてあたりをつけることになります。恐らくですが、「部長」は幼い頃に失った肉親に近づくための行為として、その小説を書いていると思われたのです。

「部長」の世界に対する冷徹さや諦観の根源を、彼は見出した気がしました。

その方針そのものが彼には受け入れがたいものでした。彼は死に近づきたくなどありませんでした。また、仮にそういうものの延長線で自分という存在が求められていたとして、それに応えるだけの何かを彼は持ち合わせてもいませんでした。

彼は生きたかったのです。生きるために人と触れ合い、泥の中を這って行きたかったのです。そうしていつか手に入る未来や未知に出会いたかったのです。あるいは、そう思えてしまう程度には彼は自分の未来を見通すことができず、無能であるがゆえに希望があると信じられただけかもしれません。いずれにせよ、このとき彼と「部長」の道は分かたれたのでしょう。

また、この作品にそういった感想を持ち、そしてそれを遂に「部長」本人に伝えられなかったという挫折を、彼は一つの思い出として抱え続けることになるのです。

こうした小説を巡る一幕と時期を同じくして、部活の顧問が別の部活から無理矢理部員を引っ張って参加させてきました。おおよそ感情と呼ばれるものの希薄な、生まれながらに神々しいアルカイックスマイルを持つ男でした。要するに、ものすごくぼんやりした男でした。

ここではこの1年生を「同僚」と呼ぶことにしましょう。少なくとも彼にとっては「同僚」とでも呼ぶべき、やはりかけがえのない存在でした。

顧問が「同僚」自身の成長を促すためにこの部活に引っ張ってきたのは勿論のこととして、「部長」と自分の二人だけという1年生の環境を変えるためにそういう采配を行ったことを彼はそれとなく察していました。彼はこのとき、初めてコミュニティというものの存在を意識しました。人と人が同じ目的意識の元に団結し、一つの目標に向かって行動する。そういう集団の中に、自分も含まれたのだと実感したのです。

こうして、死に惹かれつつもその精度を上げるために遥か高みを目指す人間と、享楽的に生きることを捨てられずとも、世のため人のために自分のために地を這い泥をすすることを望んで選んだ人間と、人と深く触れ合う中で感情を手に入れようとする、あるいはそれを表に出そうと進む人間とで、改めて1年生は構成されることとなりました。

やがて「部長」はその才覚が示す通りに部長となり、彼と「同僚」はそれを補佐する役割へと落ち着いていくことになります。この頃になると「部長」も大分彼の扱いを分かってきたようで、彼と「同僚」を色々容赦なく顎で使うようになってきました。彼は勿論そうなることが望みだったのでいそいそとそれに従いました。「同僚」も恐らくは同じ思いだったでしょう。

彼らは一生懸命活動に勤しみました。彼は個人的にその活動を「仕事」と呼んでいました。彼は自分の中でそれを単なる部活動の範疇に押し込めたくなかったのです。そして彼らは成果を出しました。都道府県大会で優勝し、全国大会への出場までもを果たすようになりました。毎日が多忙で激動で、辛く楽しく、苦しく嬉しい日々でした。雑用や文章の執筆、それに校正作業が彼にとって日々の生き甲斐でした。

彼がここで学んだことは三つありました。一つは、顧問の教えの通り、役割を果たすことでしか関われない社会があり、集団があるということ。もう一つは、前者のそれはとは別に自分という存在を赦し、受け入れてくれる集団がこの世界にはきっとあるということでした。それは制度や慣習の狭間にあって、誰に強制されるものでもなく、自身の意志で集まった者たちが互いのそれを了承し合ったときにのみ、構成されうるものでした。そして最後の一つは、そうした集団だからこそ成し得ることと、たどり着ける世界があるということでした。都道府県大会優勝や全国大会など、自分一人では到底為しえないことも集団でなら達成できる。そういう集団に今所属しているという喜びを、彼は存分に味わいました。

それは、彼が初めて知った「生き方」であり、「生きるということで生まれる価値」でもあありました。享楽的に、毎日をヘラヘラと笑って生きていた頃の自分には決して手に入らなかったものです。彼は、このように生きることでしか手に入らないものがあると知りました。それがあることを幸せだと感じたのです。

そしてこのことが、彼が「部長」の好意を無為にする決意を固めたきっかけとなることになります。彼にとって最も重要だったのは、初めて見つけられた「部活」という自分の生きる道、そしてそれを体現する空間と集団でした。3人という集団の最小単位であった当時の彼らの関係が恋愛によって崩れることを、彼はひどく嫌がったのです(一方で「部長」と「同僚」がくっつく分には問題なかろうと思っていましたが)。

2年の秋、「部長」は彼に「好きな人ができた」と打ち明けてきました。「ごめんね」という言葉を受け取った彼は、「まぁ、別にいいさ」と一言返すだけでした。結局彼は最初から最後まで、その言葉以外に何一つ返すことなくその関係を終えました。「部長」が自分以外の人間の手を借りて自身を支える術を手に入れられたのならそれに越したことはない、彼はそう思っていました。少なくとも、それは彼にとって背負いたくない、また到底背負えないものだったのですから。

3年になると受験勉強が多忙になり、掛け持ちしていた部活との両立も難しくなった彼は、大分仕事をサボるようになってしまいました。自分の性能の限界を改めて思い知るようで落ち込みました。

それでも彼は3年間部活に籍を置き続けました。そこが彼の居場所であると理解していたからです。3年の夏には二度目の全国大会にも出場し、彼らは彼らなりの活動を彼らなりの力量でまっとうしていきました。

そうして過ごす日々の中で、終わりは確実に迫っていました。3年の秋、彼がふと「もう少し仕事をしていたかったなぁ」と言うと、「部長」は仕事を進める手を止めることなくこう返しました。「まぁこの部活も冬になったら終わりだからね」

3年間続けてきた何気ない会話の一幕であり、その中の些細な一言であったにもかかわらず、その一言は彼の心の中に残り続けることになります。

そして卒業式も終わった後の、別れの日。「部長」は言いました。「卒業してもまた3人で会えるようになろうね」と。

しかし、彼はきっとそれは間違いだと薄々感じていました。「部活」を引退した彼らに、最早彼ら自身を繋ぎ止める「役割」はありません。「役割」を持たない集団に、彼はどうしてもその先を見出せませんでした。

そして、そこに彼の生きる場所もまたありませんでした。

「部長」は(あるいは「同僚」もまた)「ここで過ごした時間と培った経験こそが自分たちを未来へと運び、そしてそこで得た絆はここに残り続ける」と思ったのかもしれません。しかし、彼にとってはその3年間こそが自分の未来だったのです。

彼は自分の生き方の脆さを知りました。自分の生き方は、自分が信を置ける集団を見つけ出し、そこに文字通り身を投じることでしか手に入りません。そもそもその生き方さえも、他人から教えられ、あるいは享受されたものでしかありません。3年間あの部活を引っ張り続けたのは間違いなく「部長」であり、彼ではなかったのですから。

あのとき、「部長」や「同僚」を一つの「集団」として引き留める言葉があれば、何かが変わったのでしょうか。いえ、恐らく何も変わらなかったでしょう。彼にそもそもそんな能力はありませんでしたし、そこで引き留めることは彼らにとって最終的にプラスには働かなかったはずです。

3年間、あれほど濃密に味わったはずの生きる実感が、自分の中から流れ去っていくのを彼は理解しました。人間関係なんて過去と記憶の中にしか存在しないと思っていた以前の自分が、また立ち現れていくようでした。しかし彼はそれを拒もうとしました。一度生きる価値を知ってしまった彼に、もう一度そこへ戻る事は最早できませんでした。

あらゆるモノを人から与えられた3年間でした。生きる意味も、その方法も、仲間も、集団も、その全てを彼は自分で勝ち取ることも決断することも無く手に入れました。そしてそれらは、その構造の必然故に失われました。何一つ自分のものではなかったから、失われたのです。

それとも、あるいはこんな自分でもあの3人の集団に、3人で過ごした時間に報いることができていたのでしょうか。それを聞く勇気は、「部長」の思いにさえ最後まで応えなかった彼には勿論、ありませんでした。

彼は、初めて本気で何かを欲しいと思いました。それは自分の生き方に対する確信でした。何故生きるのか。どうやって生きるのか。3年間を通して学んだ筈のそれらでさえ全て他人から与えられた今の自分に、自らの意志で掴めるものが果たしてあるのか。

消え去ったはずの3年間の思い出に、彼はすがりつきました。最早手がかりはそれだけです。もう一度、もう一度あの空間で生きてみたい。自分が望む形の集団を見つけ出したい。その中で自分の生き方を再び掴み取りたい。そんな漠然とした思いで、彼はふらふらと未来へと歩き出しました。

そして、そこから私の、「さいむ」の長い放浪が始まりました。


・そして、2012年

・そして、2016年

・そして、2020年。

「私が『ひとりぼっちの地球侵略』と共に辿り着いた「コンテンツ」の限界」に続く。)

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