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『ひとりぼっちの地球侵略』Valentine's Day/White Day【2】

「出発の準備はできております、お嬢様」

 2月14日の朝。通学の準備を終え、自室を出たばかりのアイラをピョートルが出迎えた。

「ありがとう、じい」

 階段を降りながら返事をする。後はこのままリムジンへ直行するところだが、今日は先に確認しておくことがあった。

「今日だけど、帰りはリムジンを用意しなくても大丈夫だからね」
「天の海に向かわれるという話ですか……本当にお一人で?」

 アイラはスッと小さめの紙袋を持ち上げた。中には綺麗にラッピングされた包みが一つ入っている。

「そ、昨日話したとおりよ。この通り……できあがったから」

 自分の眉間にシワが寄っていることを自覚せずにはいられない。包みの中身は昨晩徹夜で完成させた練り切りだ。京都への修学旅行に行った際、和菓子屋にあったものを意識して作った。……と言えば聞こえは良いが、実際相当苦労した。
 材料の用意はピョートルにやって貰ってしまったし、徹夜で練りきりを完成させたところで精根尽き果てたため、包装についてもこれまたピョートルが朝方に済ませてしまった。
 肝心の練り切りの作り方も昨日の下校際にホームメイキング部の部員にコツを教えて貰い、どうにかこうにか出来上がった、といった具合である。ピンクに着色し、ハートマークの(ように見える)形にこしらえるまでが自分の限界であった。味に関しては全く自信がない。
 それでも自作の練り切りで行くという決断を自分で下したからには、もうコレと心中するしかない。堀井のアドバイスではないが、それこそしっかり気持ちが届くかどうか、だ。

「……」

 そして、そちらについてきちんと踏ん切りを付けきれていないのが最大の問題でもあった。正直、ここまでは勢いで何とかやってこれたが、実際に渡す段階となるとそうもいかない。前回みたいに無理矢理肩叩きしてもらって、なんて流れを繰り返すのも無しだ。何しろ、渡すことが本命なのではない。この前のキスについても含めて、自分の気持ちを伝えることが今回の目標なのだ。

 ……できるのだろうか……。

「お嬢様?」

 ピョートルが玄関から不思議そうに尋ねてくる。

「……大丈夫よ、じい。寝不足なだけだから。車出して」

 頭を振って再び歩き出す。まだ学校が始まってもいない。一日かけてゆっくり整理しよう。そうすればきっとそれなりの結論が出る筈だ。



「行ってくる。もし迎えが必要なときは改めて連絡するから、今日はもういいわ」

「承知しました」

 リムジン越しにピョートルに見送られながら校門に入る。風に後ろ髪が揺らされるのを感じる。今日はストレートに髪を下ろしてある。気持ちとしては多少気合いの入ったヘアアレンジをしたいところではあったが、何分学校にそれをしていったのでは加村たちに何を言われるか分かったものではない。この紙袋にしてもそれは同じだが……まぁ、すぐしまっておけばとやかく言われることもあるまい。

 そんなことを考えながら教室へ向かうと、2年4組の教室は何やら剣呑な雰囲気だった。教壇の前にいるのは……加村と、リーダーか? それと男子数人で何やら話し合っている。

 「加村さんが来たときには既に無くなっていたのね?」
 「今日は用事があって朝早かったから……」
 
 どうも面倒なことになっているらしい。眉をひそめながら教室に入ると、すぐ青井が寄ってきた。

 「あ、アイラちゃんおはよう。あのね、昨日作ったチョコクッキーが一つ盗まれちゃったの!」 
 「はい?」

 教卓に目をやると、昨日ホームメイキング部で作ったチョコクッキーが十数個、包装されて四列に並べられている。よく見ると一番手前の列のど真ん中にちょうど一個分の隙間が空いている。あそこが取られた部分か……?

「ふーん」
「え、アイラちゃん反応薄いね……もっと怒るかと思った」
「まぁ、状況もよく分からないし。いつどうやって判明したの?」

青井との会話を続けながら、自分の席へとひとまず移動する。希の座席の隣、教室の最後方へと荷物を置く。

「昨日、私たちが完成したチョコクッキーを2年4組の男子分だけ、ここに置いていったの。そしたら朝方一個減ってて……」
「クッキー、教卓にそのまま置いてったの? それは誰が取っていっても仕方ないと思うけど……」
「置いてといたのは教卓の中だから、すぐに廊下から見つからないようにはしてあったの。それが分かってるのは私と加村っちと堀井しゃんだけだし……第一発見者もその加村っちなの」
「それでも幾らでも穴はありそうだけどね……で、今から犯人捜しをしようって?」

青井がまじまじとアイラを見つめる。

「アイラちゃんは特に何も思わないの……? 自分たちが頑張って作ったものが盗まれてしまって」
「しまう場所はあのとき青井さんたちに任せっきりだったし、そんなことを責めたり悔やんだりしても仕方ないもの。私にとってはあそこでアドバイスをもらえただけで十分だったし、それに……」

それに、犯人捜しなど、する必要もない。

 もう一度、チョコクッキーに視線をやる。おばあさまから受け継いだ、エラメアの力。特別な「眼」。
 ――そう、私なら、犯人が誰なのか、なんてことは最初から分かってしまう。それを好んでやりたいとは思っていないが。
 この力は自らの使命のために使うもの。こんなことで一々使っていたのではおばあさまの教えにも背きかねないし、そのためにはそもそも厄介事に首は突っ込まない方がいい。

 ……そう言えば一度、文化祭のときに古賀時緒の心を見てしまったこともあったっけ……。


「でも、折角アイラちゃんたちと作ったチョコクッキーなのに、こんなことで台無しになるのはひどいじゃない!」
「それはそうだけど、ここに置いていったのだって十分な青井さんたちの落ち度よ。今2年4組内で犯人捜しをしても仕方ないし、ここはどうにかして男子のみんなに渡すチョコクッキーを用意し直すことに専念した方がよくない?」

 ――議論する声が聞こえてくる。みんな、被害者の中に私を含めているのね。それはいらない配慮だけど……。

 昨日の会話を思い出す。思い出作り。もうすぐ終わる、2年4組というクラス。それらを惜しいとは本当に思わない。

 ――けれど、それを惜しむ人を見捨てようとも、思わない――。

 ほんの少しの間を置いて、三度目の正直。今度こそ、エラメアの力を行使するべく、チョコクッキーを見る。人間を直接見るのとは違ってモノを、しかも失われたモノの痕跡を追うのは少し難しいが、ほんの1、2時間前のことであれば見逃すこともない。

 チョコクッキーに宿る感情がまず見える。青井、加村、堀井たちの込めたクラスへの感謝や友情、そして私の煩悶。それらを無視する。見るのはそこではない。それを奪った人間が残した感情だ。そして、それは――。

 ガタン。

「アイラちゃん?」

「え?」

 それが、椅子から跳ね上がった自分の音だと気付くのに少しだけ時間がかかった。我に返ったように青井へと視線を移す。

「あぁ、気にしないで。それにしても、収集がつかないわね――」

「あ、あの!!!」

 男子の声が響く。私も青井も、議論していた他の女子たちも話すのをやめてそちらに注目した。

 あれは確か……えっと……。

「ぼ、僕のチョコクッキーなら要りません! 大丈夫です!」

 あ、思い出した。修学旅行の班で一緒だったメガネの坊主。

 おぉー、とクラス中が沸き立つ。

「おいおい、お前チョコいらないのかよ、彼女いないだろー?」
「折角のチャンスなんだぞ、アイラさんも作ったらしいってのに……」
 なんやかんやと他の男子が前向きに煽り立てるが彼の決意は変わらないらしい。

「問題ありません! 僕は、ここでみんなにチョコを譲った人間として個々に名を残します!」

 おぉぉー、とクラスが再び呻く。体育会系の2年4組には、この宣言は相当好意的に受け入れられたらしい。

「彼がそういうことなら……いいかな?」
「クラスに一人新たな勇者を生んだと考えれば安い犠牲か……?」
 いや、ウチのクラスの女子メンバー、どんな思考回路なんだ。

「いやぁ、敢えて貰わないことで女子からの注目を集めてみせるとは、思いつかなかったなぁ……」
 針山はじめ男子生徒までしっかり感心している。
 なんかもうどうでもよくなってきた。

 キーンコーンカーンコーン。
 チャイムが鳴り響く。
「あ、まずい! 先生来る前に一旦配るかしまうかしないと!」
 わーきゃー言いながら女子たちが一気に教壇から離れていく。チョコクッキーも他の男子生徒の手に渡ったり、遅れてくる生徒のために一時他の女子生徒に預けられたりして散り散りになっていく。

 ふと、先ほどこの騒動に一区切りを付けたメガネ君と視線が合う。特にかける言葉も思いつかないので、軽く首肯だけしてあげておしまいとする。なんか視界の端っこで目を潤ませて感動している気もするが、そんなものはそれこそ見るまでもない。

 そう、今注意するべきは、先ほど見たものだ。チョコクッキーを盗んだ犯人の感情。最早クラス全体は犯人捜しをすることに然程興味をもってもいないが、自分としては一度それを見てしまった以上、無視することもできなくなってしまった。

 何故なら、ここ最近リムジンで登校する度に町並みでよく見ていたものを、そこに感じ取ってしまったからだ。

 哀しみ。大切な何かをなくした喪失感。

 それが、犯人を今回の行動へと駆り立てた衝動の正体だったのだ。

 



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