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『ひとりぼっちの地球侵略』Valentine's Day/White Day【3】

 2月14日、青箱高校は下校時刻を迎えた。翌日が土曜日ということもあって、生徒たちは我先にと学校を後にする。日が日だけに教室や体育館裏で何やら話している生徒も僅かにいるが、まだまだ冬が長引く時分に、暖房も切られた校内に喜んで残るような生徒は基本的にいない。

 その校内を一人の女子生徒が歩いていた。鞄を背負い、下校する用意はできているようにも見えるが、他の生徒とは反対に、校舎の階段を登っていく。
 その片手には、包装されたチョコクッキーが一個、握られている。 

 やがて女子生徒は、とある普通教室へと辿り着いた。クラスを示す看板には、「1年2組」と記されている。
 女子生徒は扉を開け、そっと中を覗いた。既に全員が下校したようで、中には誰もいない。女子生徒はそれを確認した後、ゆっくり教室内へと入っていった。

 そして立ち止まる。女子生徒はしばし教室を愕然としたような表情で眺めた後、慌てて辺りを見渡し、

 「1年2組は3学期の席替えを終えたそうよ。花瓶も撤去されているから、どの席か分からないんじゃない?」

 そして後ろから声をかけられた。

※    ※    ※

「……アイラ・マシェフスキーさん……?」
「私って割と有名人なのかしら。まぁリムジンで送迎される生徒なんて他にいないものね。私はあなたのこと知らないけど」
 アイラはそう言いながら1年2組の教室へ入る。教室の中央では、見知らぬ女子生徒が一人、驚いた表情でこちらを見ている。その手には、アイラたちが作ったチョコクッキーが確かに握られていた。
「最初に2年4組の教卓の中からチョコクッキーが盗まれたって聞いたとき、犯人については二つの可能性があり得るって考えたのよね。一つはまぁ、やっぱり2年4組の生徒。もう一つは――」

アイラはゆっくりとした足取りで女子生徒の方へと近づく。
「――ホームメイキング部の部員。そりゃあね、2年4組の女子生徒が男子生徒にチョコクッキーを配るって知り得る人、他にいないものね」

……こういうの、本当に面倒だなぁ……。

 余裕のある口調とは裏腹に、アイラは内心焦りながら話していた。推理したかのような話し方で相手を追い詰めてはいるものの、アイラはそんなこと一切していない。エラメアの力を行使した以上、犯人が誰なのか、なんてことは最初から理屈抜きに分かっていたからだ。こうして面と向かって対峙している今は、その経緯や動機さえも透けて見える。
 問題は、そのこと自体を他人にそのまま明かすわけにはいかないということだ。相手を納得させるためには、それがあたかも理詰めで行き着いた結論であるかのように話さなければいけない。それがいつも、何よりも大変だった。

「でも、ここで一つの疑問が生じる。そもそもバレンタインデーのチョコクッキーを盗む、なんて動機が誰にもないことなのよね。ホームメイキング部の部員なら一緒にチョコクッキーを作っている以上自分が必要とする分は確保できているでしょうし、たかだかお菓子一つをわざわざ盗むなんてリスクが高すぎる」
 アイラは改めて女子生徒の表情を確認する。怯えている。取りあえずは、本人が心情を吐露できる状況を整えないといけない。アイラは一気にまくしたてた。

「なら、チョコクッキーを手に入れられなかったホームメイキング部の部員を想定すればいい。私たちが助っ人に入ったのも、確かホームメイキング部でお休みの人が急に増えたから、らしいじゃないの」
「もし、昨日までずっと学校を休んでいたホームメイキング部の部員がいたらどうでしょうね。そして、今日になった登校できるようになった生徒がいたとしたら」
「ウチのクラスの青井さんや加村さんは教卓の中に隠したけど、そもそも学校で作った食べ物なんて、教師はその日中に持ち帰らせて食べさせようとするわ。賞味期限も短いでしょうし。ホームメイキング部の部員だって、顧問の先生がそう指示すれば基本的には従うはず」
「そう、昨日まで休んでいたあなたは、自分のチョコクッキーを確保することができなかった。バレンタインデーのチョコを。だからそれを欲しがった」
「恐らく昨日のうちに他のホームメイキング部の部員から助っ人の内訳を聞き出したんでしょうね。そこで、2年4組の生徒なら余分なチョコを持っているかもしれないと思って、早朝に教室へ向かった」
「でもそこに生徒はまだ登校しておらず、代わりにチョコクッキーが隠されていた。誰かがもっているはずと確信していたあなたはそれを見つけてしまった」
「そして、それを衝動的に、突発的に盗んでしまった」
「もう一つ、重要なポイントがあるわ。何故、盗まれたチョコクッキーは一つだけだったのか。これもバレンタインデーのチョコである、と考えれば答えは明白ね。勿論、他の誰かに渡すためでしょう? だから盗むのは一つで十分だった」
「学校で一連の行動を済ませる必要があったと仮定すれば、渡す相手は青箱高校の生徒に限られるわ。後は簡単。ホームメイキング部の部員さんから今日になって学校に登校してきた人、つまりはあなたのことを教えて貰ったの。で、校内で行動を起こすのを待ってたってわけ。……亡くなった人への手向けだったとは想像もつかなかったけど」

 そこまで話して、一息つく。基本的には口から出任せだが、最後のは特にまるっきりウソだ。そこはもう既に、骨の髄までよく分かっている。

 それでも、彼女自身の口からそれを言わせなければならないのだ。
 だから、確信へと迫る必要がある。

「私はここのクラスの男子と知り合いでね、亡くなった凪って子のことはある程度知ってるのよ。お調子者で年上好きで、文化祭なんかでも先輩とキャンプファイアーで一緒だったとか」

 女子生徒の目に涙が浮かんだのを、アイラはちらっと見た。

「私と同じ2年生のあなたがそうだったのかは知らないけど……とうに誰もいなくなったこの教室で、それでもバレンタインデーであるうちに机にチョコを置こうとする、なんてことに意味があるとするのなら、それしかないわよね」

 がくりと、女子生徒が膝から崩れ落ちる。嗚咽が漏れる。
 やがて、彼女の口からか細い声がこぼれた。

「……知らなかったんです。亡くなっていたなんて……」

 凪は年上好きと自分で謳っていたのもあり、何人かの先輩と遊んでいたことがあった。彼自身がそれにどこまで本気であったかは、ちょっかいをかけられたこともあるアイラにもあずかり知らぬことだが……その相手全てが、凪と同じような感覚で接していたとも限らない。少なくとも、今目の前で泣いている女子生徒に限って言えばそうではなかった。それだけのことなのだ。

「こうして教室にやってきても彼の机はなくなっていて、花瓶もなくて……彼がここにいたという痕跡がどこにもないんです。私は凪君の電話番号も自宅も、何も知らなかった。知ろうとする勇気を持てなかった。そのせいでこうして会うことができなくなったって思ったら……せめて、せめてどうにかしてチョコを渡すぐらいのことは……」

「ぐらいのことはして、それで彼の後を追えれば満足って、そう思ったって事?」

 返事はない。もう驚く気力もないようだ。アイラは相手の心を見た上で確認しているだけなので、そんなことを求めてはいない。その行動を制止するために先回りしているのだ。

「……私がここまで一人であなたを追ってきたこと、理解してる?」
「え……」
「私はあなたを告発するつもりも糾弾するつもりもない。ただ提案しに来たのよ」

 そう言ってアイラは制服のポケットから、小さな包みを取り出した。

「これ、私が昨日貰ったチョコクッキー。これを私が後から見つけたことにして、2年4組に戻しておくから」
「どうして……」
「単純に食べ損ねたのよ。所謂作った人同士の義理チョコとして貰ったけど、私も昨晩は忙しかったから口にする暇なんてなくて。チョコについても私は――」

 片手に持っている紙袋を持ち上げてみせる。

「――もう用意できてるから。あなたはそれを、自分のチョコとして凪に渡してあげればいい。それなら、少なくとも思い余ることはないでしょう?」

「でも、凪君は、もう」

「それをどうにかできる場所なら知ってるわ」

アイラは身を翻す。教室の出口へと向かいつつ、ピョートルへ連絡するべく耳に取り付けていた通信機を起動する。

「案内してあげる。もう下校時刻も過ぎてるし、リムジンでどう?」


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