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僕は5年前に生まれた

誰に役立つとも知れないけれど、少しだけ自分のことを書いてみたいと思う。

2019年の冬まで、僕は会社に勤めてコンピュータの仕事をしていた。パソコン通信周りの困りごとや相談を請け負ったり、IDとかパスワードとかを管理したりする、所謂パソコンの便利屋みたいな仕事。
仕事は別に取り立てて好きではなかったけれど、創作や映画などのこともそこそこにやれたし、何より困っている人の手助けができることはそれなりに誇らしい気持ちにもなった。

しかし、2019年の9月と10月に2回続けて台風が襲来した。最初の台風で、暴風で屋根が吹き飛ばされたり、断線して電気すら使えない人が続出。次の台風では洪水で設備が水没してしまったり家が流されてしまった人々も出て、その対応に追われることになった。

それこそ無限に困った人がいた。かろうじて繋がる電話からなんとか連絡をもらえても、その人の家に電気が通らなければパソコンもスマホも使えない。何も分からないお年寄りは「困っている」「どうしたらいい」しか言うことができない。
同じ仕事の仲間と協力してそういう一人一人から話を聞いていくが、当然手が回らないし、こちらも家が無くなってしまった人にどう対応すればいいかなんて何も分からないのだ。
新しい設備を手配するにも、どこにその機材を届ければいい?
連絡手段は? そもそも交通が生きているのか?
ほとんどがそんな状況の対応ばかり。当たり前だ。困っているから連絡してきているのだ。早く解決してあげたくても、状況を丁寧に聞いていかなければいけない。だから、楽な対応は一つもなかった。

精一杯、精一杯やっても、何も解決できない。インフラが復旧するまで謝ることしかできない。
その挙句、僕が何もできないと分かった時のあるお年寄りの言葉が内臓を抉った。

「金払ってるのに、役に立てないなら死んじまえよ」

たぶん、これに似た言葉はその2か月間に何度も聞いてきたはずだ。
ただ、何故だかこの言葉だけは脳裏に焼き付いてしまっている。
ぼんやりとしか覚えていないが、この人は別に家も失っていないし、電気も水道も使えたはずだ。ただ、僕の対応が遅いことに腹を立てたのだ。だから、妙に印象に残っていたのかもしれない。

でも、そうか。
こんなことで死んでほしいと思われてしまうんだな。
一生懸命やっていたとしても、それが必ず相手に伝わるわけでもない。必ず報われるわけでもない。
頑張っていれば、こういう状況にも解決策が生まれるかもしれないと思っていた。でも、それは誤解だったかもしれない。
たぶん無理をしたら死ぬんだな。
そう思った。

そこからは心を無にして働いた。そのはずだ。
記憶はほとんどないけれど、ツイッターは10日くらい空白があって、その後は普通に更新していた様子がある。(検索履歴は少し不穏だったが)

11月1日のことは覚えている。大きな波がようやく過ぎ去り、川崎まで『ジェミニマン』を見に行った日だ。
帰宅して「ジムにでも行こうかな」と思った途端、急に吐き気がして足に力が入らなくなった。到底ジムには行けないと思い、その日は薬を飲んで早々に休んだ。熱は39度くらいあった気がする。
それからは、熱が引いたと思いきや、再び熱が上がるという不可解な現象が起き始めた。病院に行ってもインフルエンザではないという。ただの風邪。本当に?
結局、熱とだるさと吐き気で仕事を休まざるを得ず、家に籠って何日も寝込んでいるより仕方がなかった。

何もすることができなかった。体力がない以上に、生きる元気がなかった。
ネットで何かの話題を見たら、何だか分からないのにボロボロと涙が出た。泣いているのは自分なのに「なんだ、この涙は…」という漫画みたいなリアクションをしてしまったくらいである。
水も食事も摂る気力もなく、虚空を見つめたまま「もう体が動かなくなってもいいか」などと長い時間考えていた。

そんな時、数日前にツイッターである画像が流れてきたのを思い出した。
濃い青色が僕の目に留まったのだろう。広告だったのか、誰かのリツイートだったのか、それは定かではない。
それは、声優の上田麗奈さんのデジタルフォトブック『わすれな』の告知であった。
(当時の手紙を読み、一部加筆訂正した)

上田麗奈さんは僕の大好きな声優さんで、芝居が素晴らしいのはかねてより知っていた。
しかし、デジタルフォトブックを出していたことも全然知らなかったし、アーティストとして楽曲を出していることもすっかり失念していた。それを不意に思い出したのである。

そこで、スマホを取って楽曲を検索してみた。やはり青色に目が留まった。
上田さんの1stシングル「sleepland」の表紙である。

何故だか「試聴する」という選択肢は思いつかなかった。僕はすぐにiTunesでダウンロードして最初から聴き始めた。

ああ、めちゃくちゃ良い曲だ。
綺麗な声だ。

聴いているのが本当に心地良いと感じた。
こんなに綺麗な歌声がこの世にあってもいいのだろうか。
いいんだろうな。

3曲目の「fairy taleの明けに」は、まさに心を浄化させる歌だった。
それまで感じていたどんよりとした気持ちがスーッと消えていったような気がした。

今でこそ、思う。
あの時、あのタイミングで、上田さんの歌を聴いていなかったら、僕は今こうしていなかったのではないか。
あの時、それまで長い間ずっと置き去りにしていた大切な気持ちが蘇ったおかげで、今もこうして生きていられているのではないか。

それから、僕はそれまでとは全然違う人生を歩き始めることになる。
その後もさらにバタバタと大変なことが降りかかってはきたのだけれど、最初の大きな変化が起こったのは、上田さんの歌を聴いたあの瞬間だったはずだ。
だから、今の僕はきっと5年前のあの時に生まれたのだと思う。

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