アタック25の話(3)

予選初参加から年月が流れた。それからも、予選への挑戦は続けた。筆記試験は通過の方が多く、面談と合わせた結果、合格通知も2度いただいた。もしかしたら…という思いは常に心の中にあった。

しかし、2度とも合格通知から1年経っても連絡が来ることはなかった。やはり狭き門、理解はしていたつもりだったが、この頃から徐々にアタックへの情熱は薄れていった。

それから月日は流れ、2013年秋。父親から届いた1通のメールに僕は大きなショックを受けることになる。

「おばあちゃんがすい臓がんで余命半年と診断されました」

何も考えられなくなった。冒頭でクイズ番組が好きと紹介した祖母から受けた影響はクイズだけではなかった。百人一首、料理、相撲…好きになったのは全て祖母がいたからだった。だから何かしてあげたい、でも医療従事者でもない自分にできることは…当然ながら限られていた。僕は余命を越えて生きられる奇跡を願いつつ、なるべく祖母に会いに行くようにした。

最後に会った日、数日前に降った雪がまだ残る岐阜県美濃加茂市。入院していた祖母は身体の痛みを訴えてはいたが、穏やかな表情で、言葉もはっきりとしていた。ならば、と今日が日曜日であることを思い出し、テレビの電源を入れる。そう、アタックを一緒に観ることにしたのだ。病室なので、イヤホンを片方ずつ着けて最後まで観た。

驚いたのは、途中でアメリカ五大湖に関する問題があったのだが、祖母に「五大湖今でも全部言える?」と聞くと、「スペリオル、ミシガン、オンタリオ、ヒューロン、エリー」とスラスラと完答していたことだろうか。僕が中学生の時に初めて完答しているのを聞いてはいたが、改めて祖母の記憶力に驚かされることになった。

放送が終わり、祖母も休まないといけない時間だったため、帰り支度をしながら、僕は祖母にこう言った。

「近いうちにアタック出て優勝するよ。見てほしいから元気になってね。」

頭の中では現実的でないことくらいは分かっていた。ただ、祖母に嘘をつかないように(祖母は嘘をつくと烈火のごとく怒る人だった)何と言えば喜んでくれるのか、考えた結果だった。祖母は楽しみにしておくねと笑顔を見せてくれた。

それから数ヶ月後の2014年4月25日未明、祖母は天国へ旅立った。生きている間に約束を果たすことは叶わなかった。

つづく

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