2022.12月末の日記

・少し前から私はすあまの良さに気づいている。バーバパパの切り身としか思えぬあのもんにりした見た目と食感、そもそも満点が80点だけど赤点にも絶対ならないようなブレの少ない安心感。あんこが得意でない人間が日常食として和菓子を摂取するのに最も適したものがこれなのではないか。
 たいていスーパーで買うのだけど、和菓子屋で本気のものを買ったらどんな具合なのだろうか。すあまを看板にしてる和菓子屋って寡聞にして知らないのですが。

・クリスマスを過ぎて体調がようやく少しマシになってきた。熱はすぐ下がったがひどい咳で夜中目覚める日々が続き疲弊しているので体内が戦後という感じである。病院でわんさか処方された薬を飲んでもサッパリ良くならなかったが、たまりかねてヴィックスヴェポラップを胸に塗ったらスゥッと夜中の咳が治まって、なんとなく釈然としない。

・矢野利裕さんの新刊『学校するからだ』を買ってきてめくる。未分化な若者たちが同じ制服で同じ教育を受ける学校という特殊な場所で、部活や授業や行事など、さまざまな局面にあらわれる統制と逸脱、そのあいだを行き来するダイナミズムを「からだ」という観点から描く類のない本。矛盾をつなぐ身体のリアリティ。面白い予感しかしない。
 個人的に、矢野さんの思考と倫理をある種の指標というか規範にしているところがある。彼のnoteの記事を読んでみてもらえるとなんとなくわかると思う。

・自分がやりたいことは「勉強」なのではないかと気づきはじめる。具体的に何の、と問われると広すぎて難しいのだけど。

・最近Instagramをちょっと覗くようになってきた結果、無限に服が欲しくなって困っている。SABORのジョグとかmin-nanoのvansコラボとか。靴じゃん。

・すずめの戸締まりをようやく見てきた。面白かったです。
 君の名は→天気の子の流れからこれが来るとすっかりディザスタームービー3部作という感じなのだけど、監督のインタビューを見たらやはり意図してストレートに震災をテーマにしたそうで、そこで語られている「当事者ではない後ろめたさ」の感覚は正直よくわかる。

 そういう動機で震災を、超常的な原因による、人間の手とある種の犠牲によって止めうる事象として描くことについては正直かなり危ういものがあると思う一方で、(無邪気さにも似ているが)誠実さを読み取ることはじゅうぶんに可能な内容ではあり、自分の中ではちょっと逡巡した結果アリ判定が下った。人の暮らしへの祈りがあるからヨシ!

・例えば筋肉少女帯の橘高文彦は毎年24歳の誕生日を迎えているし、声優の井上喜久子は永遠に17歳であるが、自分が永遠の○歳を名乗るとしたらいったい何歳にするだろう。
 たぶん一番若々しくてエネルギーに溢れていて、なりたい自分を体現できていて、実際楽しい思い出ばかりの歳を選ぶものなんでしょうが、それはいつだ……? どの歳でもだいたい上記のどれかの条件が欠けている。肉体的にはこの歳でありたいが精神的にはその歳だと絶対いやだ、みたいなのもある。
 過去に戻るという話なら、今の知識と経験を持って大学入った頃に戻る、というのがいちばん楽しそうなんですが、それで幸せになれるかというといろいろやらかす予感しかしない。いや、でもやり直すにしても成功させるためじゃなくやらかすために戻るのもよいですよね。

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