単なる瞬間(45日目)

ここで書いていることをもっといろんな人に知られたいのか知られたくないのか、自分でもよくわからない。

ほぼ毎日書き散らしている文章は、まず自分のために書いている。
半ば日記のようでもあり、考えるためのメモ帳でもある。でもそれなら本来は自分のスマホのメモにでも書けばいい。
それを他人に読まれる場所でわざわざ書いているのは、第一に他人の目を挟むことで怠けないようにするため、第二に人に読まれる前提の文章をコンスタントに書くトレーニングのためだ。

つまりこれはコンテンツではない、はずなのだ。

なのだが。

人の目を意識して書くだけでこれはもうコンテンツになっているのではないか。
というか、自分自身もはやこれをコンテンツとして書いていないか。
本心ではもう少しいろんな人に読んでもらいたいと思っているのか。

広く読んでもらうための努力は、正直一切やっていない。
書いたことを一言ツイートするほかはたまーーーに「毎日こんなものを書いてます」とマガジン自体をツイートするだけ。
そもそもnote内のハッシュタグを一切つけていない。(※執筆時。現在はつけてます)
読みやすくするための改行の工夫や画像の挿入などほぼ完全に無視している。
そういう文章はよほど内容が面白くない限りは読まれ得ない。
そして内容は平均するとそれなりに面白いとは思うが、ものすごく面白くはない。たぶん。

うん。書いてて思った。
やっぱりそんなにたくさんの人に読まれたくはないのかも。
だってメモだもの。筋トレなんだもの。
丁寧に綺麗にやってどうすんだバカヤロー(虚空に向かって)。
あれだ、ボクシングジムってあるじゃないですか。
大塚の角海老ジムの外に昔灰皿が置いてあって、たまにそこでタバコ吸いながら、縄跳びをしたりリングでバシバシとミットを叩くボクサーをなんとなく見ているのが好きだった。
でもあれは誰に見せるつもりでもなく己のために練習しているボクサーを、ただ通りすがりの人間がタバコを吸うついでに、たまたまジムがガラス張りになってたからという理由だけで、ボクシングに対するなんの感興もなくぼんやりと眺めているというだけの時間だった。
単なる"瞬間"だった。

ボクサーはリングで戦って勝つために練習をしている。
無遠慮な人の視線に慣れておく、という理由でガラス張りになっているのかもしれないが、練習を見せるために練習しているわけではない。

ここの文章はたぶんそんな練習と同じものだと思う。
たまたま気づいた誰かがその日書かれた文だけをチラッとスマホで見て、閉じたら忘れて、そもそも書いた自分はその人が読んでたことすら知らない、そういう単なる"瞬間"であればそれでいいと思う。

そしておれはまたいつか、恐れずにリングに上がって戦わなければならない。

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