いちばん「東京」な場所(5日目)

東京にずっと住んでいるが、いまだに東京という都市を語る言葉を見つけられていない。

速水健朗氏が『東京β』で、たしか「東京は更新され続ける都市」ということを言っていて深くうなずいた。
でもその更新の速度が速く、しかも色彩の違う街がそれぞれバラバラに更新され続けるので、どうにも都市としてうまく捉えられない。

個人的な体験としての東京、というのも、そもそもあまり個人的な情報を流したくもないので語りづらい。
だけど、いくつかの街に住んだ経験からして、西と東、北と南、どこに住むかでその人がどこを「東京だと思っているのか」がずいぶん変わるな、という印象が強い。

武蔵野エリアに住んでいた頃は、自分の中の東京はまず新宿に関所があった。
あまりに直線的で、東西の軸としての強度が強い中央線が東京の背骨なのだと思っていた。
それが山手線につながって東京の東側の多くを囲む曲線となるわけだが、そのベクトルが変わる結節点である新宿は、別の国へと向かう際に必ず通らされるゲートで、そこから先は未知の「東京」だった。
東京タワーも雷門も上野動物園も、ツーリストとして向かう観光地としての東京だったと思う。

のちに少しずつ東寄りに移り住むようになってからは、東京の地図が徐々に塗り替えられていった。
東京の知らない街を歩くのもどんどん好きになった。
未知の国が日常を生きる街になっていくのが面白くて、できることなら延々と引っ越し続けたいと今でも思っている。無理だけど。

自分にとっての東京は広がったり細かくなったりするばかりで、そうなると余計に見えていない部分があることもわかってきて、ますます実像がつかめなくなってくる。

でも自分が今のところいちばん「東京っぽいな」と思っている場所はある。
都電荒川線で鬼子母神前から都電雑司ヶ谷へ至る間のあたりだ。
夜だとなおいい。

細々とした住宅街を貫く線路の周辺は、延々と工事が続いていて、でもいつ何ができるのかよくわからない。いつか何かかできて柵が取り払われることだけはわかる。
街路は家ばかりのようでいて、小さく趣味の良い店がところどころ潜んでいる。
その並びに、背の高い緑をたたえた大鳥神社が、目の前の線路にも、背後の街々にも静かににらみをきかせている。
そこからふと顔を上げると、少し遠くに池袋の高層ビルが見える。
路面電車が過ぎた後、踏切の真ん中に立って、決して永遠にこのままであることはあり得ないこれらの風景を見渡すと、おれは今とても東京に存在しているな、と思う。

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