2023年2月末〜3月頭の日記

・ドンブラザーズが終わってしまった。
 この一年で触れた中で最も面白いコンテンツだったと言っても過言じゃない……まさか最初はそんな思いを後々抱くことになるとはまったく予想できない混沌ぶりだったのにね……。
 キャストの演技が次第にこなれてきて完全に役そのものにしか見えなくなってくるのも一年続く番組の醍醐味だけども、今作は毎回とんでもないとっ散らかりかたをするのに、要所要所をめちゃくちゃキッチリ締めてくるせいでうっかり一貫した流れが見えてしまう、という恐るべき脚本術に踊らされ続けた。井上敏樹御大、すごい。出来事はすべてトンチキの極みなのにキャラの心情の動きはほぼ全くブレないんですよ。プロダンサーの体幹めっちゃしっかりした裸踊りを見させられているような気持ちになる。
 ドンブラロスを引きずったまま始まったキングオージャーは、そもそも舞台が異世界ってとこにびっくりしたんですけど、これまた根本的にノリから何から違うシリーズになりそうなのでまずは淡々と見続けます。しかしゼンカイジャーとドンブラザーズでスーパー戦隊観が形作られてしまったのはどう見てもイレギュラーすぎる予感しかしない。

・西尾雄太『下北沢バックヤードストーリー』が面白いよー。激戦区の下北で古着屋を営むゴリゴリの服オタクの主人公が、ある日同棲中の彼女に理由を告げられぬまま出ていかれ、その折に偶然再び関わり合うことになった昔の彼女(?)たちとの遭遇を通して自分の何が悪かったのかを考えて行く話。
 面白さの軸がふたつありまして。まずひとつは、古着屋の仕事とその魅力をリアリティたっぷりに描いているお仕事ものとしての秀逸さ。買い付けってこうやってるのかとか知れるのも新鮮だし、主人公やひと世代下のこれまた厄介な服オタクであるバイトコンビなどの語る蘊蓄を読んでいるだけでも、「古着ってこんなに奥の深い世界だったのか……」と目から鱗が落ちる思い。
 そもそもファッションには詳しくもないのだけど、ヴィンテージの備える現代では実現できない品質や美しさ、デザインソースとしての重要性、時代に合わせて更新されていく価値(&値段)の一方で連綿と続く文脈と、古着というものがファッションの世界でこうもウェイトの大きい存在だったのかと初めて実感しました。
 で、ふたつめが、もうひとつのプロットである恋愛面についてのところで。この主人公は一見まともなイケメンで、服の文脈についてはものすごく精通していて本質を見抜く眼力を持っている。にも関わらず、人間の文脈、接した相手のこれまで生きてきた人生や価値観について内心まったく興味がないことに無自覚であることが、イタいエピソードとともにじわじわと明らかになっていくんですよ。
 以下、ちょっとネタバレして例を挙げます。
 特にハンドメイドやってる元カノが出てるイベントに出向く回がヤバい。着ていく服のコーディネートはそれぞれの服の来歴をDJのごとく繋ぎあわせてバッチリ決めていくのに、到着したら彼女の作品には見向きもせぬまま、他の客も来てるブースのど真ん前で話しようとするんですよね。しかもその内容は「今カノに出ていかれた理由がわからないから何かヒントくれませんか」なわけです。
 その子と別れたのは、「その子と付き合うより服の追究が面白くなって趣味も合わなくなり興味を失ったから」なんですけど、それはまだ良いとして何がヤバいかというと、主人公の中では自分がフラれたことになってるんですよね。「いやどう考えてもお前が実質フッてるだろ」「そんな相手に会いにいっていきなりそんなことを聞くなよ」「ていうか頼み事するならまず売り物を買えよ」とツッコミが追いつかないですが、その結果どうなったかは単行本を読んで確かめていただきたいところです。
 こういう、完全に無自覚なまま都合の良いように考えているところから砲弾が飛んでくるって話なんですが、何が刺さったかって自分もめちゃくちゃこういうところがあるからなんですよ……。人間の生み出した作品に耽溺していられれば人間ひとりひとりのことはどうでもいい、みたいなところが……。たぶんこれまでもたくさん無自覚に誰かの足を踏んづけてきたよおれ……。
 一方でもう人間らしい情の世界を諦めて、行くところまで突き詰めるのが正解なのでは、という考え方もこと芸術やクラフトの世界においてはあるわけで。その極地まで行っちゃった超凄腕のリペアマンが、離婚して養育費払い続けつつも「ひとりはいいよぉ」と主人公のことを蟻地獄の底から誘う場面なんか、マニア気質のない自分でもアチラ側へ転げ落ちちゃう方が楽しいよね、という後ろ暗い欲求を自覚してしまう。仕事と子育てしながら創作などの活動をしてる人、それを全部うっちゃって好きに邁進できる世界を夢想したことがあるよね? ないとは言わせないぜ……。そういう葛藤も含めて、珍しく感情移入してしまうところがありました。
 そんなわけで主人公がはたしてちゃんと人間に興味を持てるのか、この先も見放せません。続きが気になる……。

・その勢いで先日、めちゃくちゃ久しぶりに下北沢で古着屋を巡ってみた。とはいえヴィンテージの世界はまったくわからんしビギナーのおっさんがノコノコとコアな店に入る度胸はないので、まずは大きな店でレギュラー古着をばさばさと見繕ってみたんだけど、いや面白いですね……。レコ屋の棚を漁ってるときとまったく同じタイプの安らぎを感じる……。なぜよほど行く時間のあった若い頃にハマらなかったのかおれよ、もったいない。リバースウィーブなんか今の価格の半分くらいで買えたろ……着たことないけど……。
 しかしそこで古着の持つ来歴と今の自分のスタンスや価値観をどうすり合わせるべきなのか、わからなくなるとも思った。
 例えばミリタリー。古着を漁るならほぼ避けては通れないこのカテゴリに対して、戦争との距離感が著しく近くなってしまった今どういうスタンスで向き合えばいいのかよくわからない。ロシア軍ものを着る気には当然なれないとして、アメリカ軍ものならセーフなのかというと心のどこかに抵抗感はある。それともさらに日本からの精神的距離感の遠いチェコ軍ならいいのか? 
 ミリタリーはむしろファッション性と機能性だけが本来の軍での実用から切り離されて漂白され、軽薄化・陳腐化した結果と考えればそれはそれで反戦的ですらあるかもしれないのだが、デッドストックでない限りは軍でそれを着ていた、戦争に行ったか行くかもしれなかった数十年前の若者がいたわけですよね。その服を現代日本人が着ることの意味合いはどう定義すればいいんだろう。自分の人生においてそれを着る文脈、必然性は果たして見出しうるのか? それなしでミリタリーものを着るのは、靖国に集う軍服コスプレのおっさんと本質的な違いはあるのか?
 でも一方で、もはや服を着る上でミリタリー由来のものを避けることすら難しいのも事実ではあり。カーゴパンツやMA-1などは世間に十二分に溶けこみきってもうカジュアルウェアのいち分類のレベルにまで来ているわけですし。それ以前に、確かに機能的でカッコいいんですよね……。カッコよさはすべてに勝る。
 こういうことを考えていると、矢野利裕さんの『コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史』を思い出す。外国文化が受容され一般に広がっていくときの節操のなさ、軽薄さ、その尊さの話。なんとなくそこは相似形になっている予感がする。
 しばらく服の本でも読んでいろいろ勉強してみようかと。ヴィンテージについてはディテールへの興味が元来薄いほうなのであんまりハマらない気はするけども。
 しかし下北の古着屋、若い子だらけでしたね。制服の子とかザラにいたもの。昔はもうちょい年齢層が20代以上メインだったような印象があったんだけど、ティーンが来る街になってるのは再開発の効果でもあるのかな。

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