最初に起きた朝(49日目)

胃腸炎にかかって、水をひたすら垂れ流す管になったような一日をどうにかやり過ごし、眠り、朝5時半に目がさめる。尿意と渇き。ベッドにためこまれた熱がコンロの弱火みたいに背中をあぶる。

隣で寝ている娘を起こさないように体をよじらせて夏掛けから這い出て、スマートフォンを起動する。ツイッターを眺め、ゲームのログインボーナスをもらう。アナザーエデン、ロマンシングサガリユニバース。ざあっと情報が矢継ぎ早に視界を流れていくが、それは手を洗うための流水のようなものかもしれず、実のところ見ている自分は何も考えていない。大型の機械を起動するためのいくつものスイッチのようなルーティン。

ドライをつけっぱなしだった部屋の中は、暑さと涼しさのちょうど中間あたりで心地よい均衡を保っている。ロードバイク用のドリンクボトルに水をため、アクエリアスの粉末を半分くらいまで流しこむ。歯でボトルの栓を引っ張り上げ、ぎゅっと握りこんで、薄くて生ぬるいアクエリアスを口の中へと押し出す。この走りながら飲むためのボトルは、寝ながら飲むのにもうってつけだ。ほとんどロードバイクに乗らなくなってからは病気の時にだけ棚から引っ張り出される。ゲータレードと、今はもうないチームスカイのロゴ。

妻と娘はまだ眠り続けている。今まで生きてきて出会った人たちの中で、眠っている顔を見たことがあるのは何人くらいだろう。家族、かつての恋人、三次会の店のテーブルに突っ伏して寝てしまった同僚、たまり場になっていた下北沢の友人の部屋、修学旅行のホテルの寝室。そんな場所でおれは最後まで起きている方だっただろうか。最後まで寝ている方だったのは間違いないが。今でもだいたい最後まで寝ていて、手が足りずいらだった妻か遊びたがる娘に起こされる。

珍しく最初に起きた朝、聞こえるのは空調のかすかな風と、遠い蝉の声、時折通る車の走行音だけだ。この時間はまだ苛烈な夏から守られている。夏休みは、夏に休むのでなく、夏を休むための時間なのかとも思う。

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