2023年3月中旬の日記

・この世に生まれる前に引かされる、いつどこで生まれるかガチャがあるとして、20世紀末の日本というのはどう考えてもSSRランクの引きなわけですけど、それでも人それぞれにしんどさは山ほどあるものであって、地獄というものはほんとに相対的であるなあ。

・最近はほとんど服のことしか考えていません。なんだろうこのモード、過去にあまり通り過ぎた経験がないので自分でもよくわからない。読んでるものもほとんど服関係。今になって『チープ・シック』とか読んでる。
 しかし古着って書籍のかたちでまとまっている資料があんまりたくさんなさそうですね。雑誌とムックはいろいろあるんだけど。
 そして読めば読むほど大戦モデルだのトリコタグだのといった考証(と付加価値)の部分は、考古学的にはともかく自分の購買的にはまだ興味ないなと思う。たとえば永井ミキジ『C級スニーカーコレクション』みたいな日陰に埋もれたニッチなものを探す方向性のほうがよほど面白そう。だけど、結局そこに至るにもまず基本を知ってからなんですよね(この本はそういう次元ではない、ガチのコレクターが歩む修羅の道を垣間見られるなかなか恐ろしい本でもあるんですけども)。

・ヴィンテージというのは本来的に、アパレルが本格的に大量生産物になっていく以前の「質が良い」服、だそうで。質が良い、というのは縫製がしっかりしていたり、生地が高級だったり、人の身体のことをよく考えて切られたパターンに基づいていたり、ということなのだろうし、数十年前の服が今でも着られる状態を保っていることそのものが品質の証でもあるわけだけど、これまで着てきた大量生産の服とそれがどう違うのか、着た自分がその違いを実感できるのか、なにぶん着比べたことがないので皮膚感覚としてよくわからない。
 自分はまだ柄やプリントなどの見た目、「平面」としてしか服を認識できていないんだろうな、と思う。ヴィンテージの、服の「立体」としての側面を理解できた時に、おそらく人はハマるのだろうな。ただ、自分は体型がそもそもそういう側面を味わうのに適していない、という気がしてならないのだけど……。
 服について考えるということは、自分の身体(の美醜)について考えることともかなり近いので、中年にさしかかりさらにままならなくなった己の切株のごとき体型とどう折り合いをつけ、どう抵抗していくのか、着たい服から逆算していくような事態になったりするんだろうか……。現時点でモードというかハイファッションは完全に縁のないものと諦めているけど、古着でもそういう壁にぶち当たる予感はわりとあるんですよね。いや、いろんな意味でダイエットした方がいいのはわかってはいる、わかってはいるんだ。

・自分の「服の嗜好はストリート寄りなのにカルチャー趣味そのものはまったくストリートじゃない」問題、根源は子供の頃に読んでたファッション誌がBOONだったから、というところに集約される予感がしてきた。
 というか当時そこに連載されてた井上三太『TOKYO TRIBE2』のせいでは? 東京を舞台にトライブ(ブラックカルチャーベースの不良チーム)が抗争する話なんだけど、初めて買った号に載ってた回が、主人公チームの武闘派がストリートミュージシャンに因縁つけてボコって取り巻きの女の子をハイエースで暴行して路上に放り出す、という酷すぎるエピソードでトラウマになったのを今でも覚えている……。
 同誌に掲載されていた服の方向性への好みと、ストリートカルチャーへの最悪な第一印象、というのがミックスされて自分の趣味の地盤ができあがったように思えてならない。
 実家を出る時に古雑誌をほとんど処分してしまったのが今になって悔やまれる。神保町あたりでバックナンバーを漁ってみたくなってきました。
 しかしまあ、斜に構えて触れてこなかった20歳前後のカルチャーを倍の歳になってからたどり直そうというのは、明確に中年となった証ですね。楽しくやろうと思います。

・それにしてもWBCはすばらしかったですね……。大谷、村上、ヌートバー、栗山采配、鈴木と栗林、チェコ代表、アジア野球などなど、すべての局面であまりに物語的だった。メキシコ戦はリアルタイムで全部観られたのは本当に良かったし、決勝戦の日の昼前の会議にアマプラ中継つけたままのPCを堂々と持ち込んだ某上司には感謝の念に堪えない。まあラグがあって大谷が最後の球放る前にもう他部署からの歓声で結果わかったけどね!
 しかしこう見ると弊社のこういうところのユルさはやはり嫌いになれない。ほとほと愛想が尽きてはいるけれども、たまにこういう場面を見ると、付き合っていたころの美しい瞬間をふと思い出してしまった熟年離婚目前の夫婦みたいな気持ちになりますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?