劇団四季「アナと雪の女王」を観て

これは、2021年7月1日に書かれた日記です。

2021年7月1日。
はじめて劇団四季の舞台を観た。
友人が誕生日お祝いにとプレゼントしてくれたものだった。
「アナと雪の女王」は私の大好きな作品のひとつだった。
6月24日に開演したばかりのその劇に、周りの人は浮かれているようだった。私もそのうちの1人だった。

前日から、原作を観るのかという葛藤に駆られた。
きちんと予習していくべきなのだろうか。
曲も完璧に振り返っておくべきなのか。
結局私は何もせずに眠りにつくことにした。
眠たかったからじゃない。「あえて」だ。
新しい劇を観に行くつもりで行こう。

そんなこんなで今、劇を観終わってこの気持ちをメモ程度に残しておきたくパソコンに向かっている。
ここからは、文章はめちゃくちゃでとても読めたものではないかもしれないがそんなものは関係ない。将来に読む私、頑張って読解するように。
正直、明日も朝から大学で早く寝ないとまずいのだが、眠たい体を叩き起こすように脳だけが動いている。
原作のアナと雪の女王を観ながら、今日のことを文字に書き起こしていこうと思う。


アナとエルサの子供時代の仲の良さが濃く描かれていた。
アナは想像以上におてんばで表情が豊かであった。
そしてエルサもまた、ちいさい頃からとても美しい女性であった。
ここまではとてもアニメから飛び出してきたようだった。

エルサの魔法が最初にぶつかってしまった時、トロールたちにアナを診てもらう。その時、書籍を探すのではなく歌で彼らを呼び込み王女は「ノーサルドラ出身だから」という。これは、アナと雪の女王2で描かれている要素がたされているのかな?なんて考えてしまった。


アナとエルサが引き離された時のことである。
劇では、父親が厳しく離しているように私には見えた。
少し、父親という人間が冷酷に思えた。家族という形が崩れていくのを目の当たりにした。

まあとにかくすごい。氷かっこいい。
アナの髪の毛の整えるスピードに一番驚いたのかもしれない。
私もその能力欲しい。どうやってやってるんだろう。

エルサの「レット・イット・ゴー」は本当に素晴らしかった。
余談であるが「レット・イット・ゴー」が流れていると聞きすぎて飽きたなんて声を多く聞く。
そんな奴らに一言物申したいので私の言葉に耳を傾けてほしい。


エルサの心の強さと弱さの曲。ありのままの自分を見せるなんてきっと誰にもできない。それでも彼女は、言い聞かせる。何も、怖くない。少しも、寒くないんだ、と。だからなんでもできる。自由だから、変わることができる、挑戦することができる、飛び出すことができるんだと。
自分を好きになって、これでいいんだと、大人のエルサが光をはじめて浴びながら歩き出す。ちょっと話が長くなりそうなのでここら辺にしておく。またいつか。

さて、なぜこの話をしたかというとここから全く彼女の性格が原作と違っているように感じたからである。四季のエルサはここからすごく強くなる。
本来原作では、エルサはアレンデールが凍ってしまったと思った時、ただどうすればいいかわからないと途方に暮れ、ただ捕らえられてしまう。
しかし、劇では自ら選ばれて国に戻り、どうにか向き合おうとする。
普通にすごい。強いと思った。きちんと自分が起こした問題に立ち向かう姿勢に私は強さを感じた。

それでもアナが凍ってしまった時、エルサが顔を真っ赤にして泣いていた。心がなぜか救われた。こんな世界をまだ生きたいと思った。
「本当の愛とは」それがなにか私にはまだわからない。でも、あの瞬間確かになにかは伝わった。

今思っていることはこんなもんだ。
時間がまた私の想像を広げていく。
そんな瞬間が私は大好きだ。

ありがとう。


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