ミラベルと魔法だらけの家

これは、2022年10月10日 17:23に書かれた日記です。

「ミラベルと魔法だらけの家」を観た。
私は新しい映画を観るとき体力を使う。
その世界の一員となってみるからだ。
その物語に飛び込んでしまうからだ。

こうして初めてみる映画の感想を書き込むこともとても疲れる。
なぜならもう一度その世界へ戻らなければならないから。

でもこうして書き残しておくことは、いつかの私の救いになるのだろう。
そう信じて今日は、パソコンに向かうことにする。


主人公ミラベルは、家族の中で唯一魔法の力を授かることのできなかった少女。彼女は、みんなは持っているのにどうして、私には何もないのかと葛藤する。
しかし、彼女はなにも持っていないのではなく、誰よりも家族を家族らしく愛するという気持ち(こころ)の魔法を持っていた。

とまぁ、あらすじはどこかのサイトから引用して持ってきてほしい。


私も常日頃から、どうして周りの人はできるのに私にはできないのだろうと思うことがたくさんある。
どうして、何度も眠りについてしまうのだろう。
どうして、すぐに眠りにつけないのだろう。
どうして、机に向かうことができないのだろう。
どうして、どうして他の人が簡単にできることが私にはできないのだろう。

素敵な人に囲まれれば、囲まれるほど、自分がいかに無力でないもない私であるのかと感じる。素晴らしい人に出会えば出会うほど自分の無力さを知る。



少し、昔の話をしよう。
私にも自信に溢れて、大好きなものをひたすらに追いかけていたことがあった。あの時の私は、猪突猛進、七転び八起きがお似合いの学生時代だ。
当時の私は、とにかくバスケットボールのことしか頭になかった。
ある日、私は、その日、練習をはしごしようとしていた。
午前中は高校の練習に参加して、午後に中学の後輩の練習に参加しようと思っていたのだ。今思うと化け物である。
急いでいた、すぐ部室を出ようとすると仲間から
「本当に好きだね、バスケ」
そして、


「あなたはいいよね、才能があるから」



一見、無視しておけばいいこの言葉だが、当時の私にとってはとてもショックが大きかった。
私だって、頑張っていた。
私だって、辛かったから。
その時から私は、誰かに好きを言えなくなった。
目に見える努力をしなくなった。
そして段々と自分の好きが信じられなくなった。
それからはなにかと、言いたくないことはたくさん話した。
本当に話したいことの話をしなくなった。
なにが好きなのか、なにを感じるのか、なにを思うのか、なにが嫌なのか。
自分自身がわからなくなった。


この話がミラベルの話にどう繋がるのかって?


ミラベルがなにもないと思っている時、彼女の姉の一人がプレッシャーを感じているという歌を歌う。才能溢れるばかり、「もっともっと、人の期待に応えなければ」そう歌う。才能溢れることもプレッシャーになるのだ。もし、周りからの期待に応えられなければ、私の存在の意味はなくなるような気がしていく。私は平気、私は大丈夫。そう言い聞かせて何かから逃げ続ける。いつかの私みたいに。

もう一人の姉は、自分の好きなものを見失っていた。人から求められることだけしていたから。自分はなにを感じ、なにを思っているのかわからなくなっていつの間にか周りに流されて生きてきた。いつかの私みたいに。


もしかしたら気付かぬうちに、私も周りの人に昔の私への言葉をかけていたのかもしれない。もしかしたら、知らないうちに彼らの努力や辛さを無視して皮肉を言っていたのかもしれない。この映画を観てそう思った。


私にだって、あなたにだって、誰にだって素敵なところはある。だから、なにもないなんて思わなくていいんだ。きっとそれに気付いてくれる人が現れるから。きっとあなたの素敵は誰かの支えになっているから。


みんなどこかできっと何かに苦しみ、悩んでいるかもしれない。

なにかを持っていたとして、それが重荷になっていることもある。

期待されることが辛いかもしれない。

だからそんな時は、私が声をかけよう。その人たちのそばにいよう。

それがきっと私の持っているものだから。



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