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ノユーク・チャイ

ノユーク・チャイ


苦みをかすかに含んだ空想からそれは始まった

 

あるとき夜中に目が覚めて「“おひとりさま ”ってどんなものだろう?」と考えた。漠然と。

半年前まではパワー全開でフル回転していた家が、今は夫と二人だけの省エネモードになっているように、家のありようは変わっていく。緩やかにせよ突然にせよ、否応無く変わっていく。遅かれ早かれ終の別れは来る。
つらつらと考えてみたが、おひとりさま構想は、ぼやけて曖昧なまま形を結ばなかった。邪魔にもされないだろうが必要ともされないで、うつむきかげんに独りで歩いている姿は容易に想像できるのだが、暗くもないがあまり面白そうでもないな、と少し残念で憂鬱な気分になった。

 

「もしもひとり暮らしになったらこの家をどうリフォームしよう?」って具体的に問い直してみた。
すると出し抜けに、あるひとつのイメージが浮かび上がってきた。まるでワイドスクリーンに映し出された映像のようだった。細部までくっきりと、ありありとリアルに、生き生きと色鮮やかに。それは、整体ルームとして生まれ変わった1階の和室だ。

 

1階の和室は母の居室だったが、夫が室内ゴルフ練習場に改造した。フルスイングできるように天井を抜き、畳を外したのだ。2階の12畳のかつての仕事部屋は、仕事で使っていたコピー機などをいち早く処分し、ロングパット用の練習場、兼、夫のパソコンルームとなっていた。
夫の寝室は別にある。私は娘の個室だった洋間に自分のベッドと机を移し、2階の和室は客用寝室にした。我が家の場所取りゲームは、こうして再編成され、お互いに侵犯しないような安定した国境線が保たれている。
だから、夫の自慢の練習場をいますぐ整体ルームにしようと言い出すのは、勝ち目の無い宣戦布告のようなものだ。

 それはそれとして、私のイメージはこんな感じだ。

大胆なリフォームによって、和室は、無骨なゴルフ練習場から、黒姫の森のような静謐な空間に生まれ変わる。温かくて親密な、安らぎの空間になる。木漏れ日を浴びた風通しのよい特等席になる。シンプルな部屋の中央に、整体用のベッドと、足のマッサージ用のリクライニングチェアーをひとつずつ置く。

お客さまをお迎えしたら、まずお風呂で半身浴してもらい、それからゆったりとこころゆくまで整体を受けていただく。
整体のあとは、手作りの柚子はちみつのお湯割りを飲んだり、本を読んだり自由に過ごしてもらう。お昼寝するもいい。
裏の庭の一部は耕して野菜畑にする。自家野菜で美味しい食事を作る。私がひとりでやれる範囲のことを無理なく続けるために、完全予約制にしよう。一日にひとり(一組)のお客様を、丁寧に大切にお迎えする。
そして私は、知る人ぞ知る “ゴッドハンドを持つ民宿のおばちゃん”になる(妄想列車大爆走)。

ひらめきの瞬間は心の底から笑った。
真夜中にひとりで、くっくっと笑った。

壁はやっぱり珪藻土がいいかな? 床は無垢材にして、床暖房もいいよね。ああ、暖炉なら最高! あとからあとからきりもなく想像がふくらんで、目がすっかり冴えてしまった。内側からコツコツと、ヒナの黄色いくちばしが殻を破り始めているようすをわくわく眺めている感じ。七色の泡がぽこぽこ出てくる湯船に浸かっているような愉快な気分だった。

 

朝になって冷静にその意味を考え始めた。“おひとりさま”の老後を、こんなにも愉快に伸び伸びと思い描いてしまった自分に、驚いてしまった。
底に流れる酷薄さが、嫌な毒の苦みとなって口の中にじわじわ広がっていった。覗いてはいけない禁忌の扉を私はうっかり開けてしまったのではないだろうか。

逡巡は何日か続いた。けれど、「より楽しい」と思えるほうへ向かっていきたい気持ちを抑えられなかった。不思議なくらいリアルに思い描けたことに背中を押されるかたちで、とにかく整体を習い始めてみようと決意した。あきらめる理由が見つからなかった。

 

通学の日々

 

そもそものきっかけは、市内のカルチャースクール。朝刊の折り込みチラシでたまたま見かけた、6月開始の「足つぼ健康法全6回」の募集だった。週に1回1時間。ちょっとした特技になればいい、という軽いのりで応募したら面白かったし物足りなくなった。
中国人の女性の講師が、熊谷にある整体の学校で学んだと話していたので、早速資料を取り寄せた。見学にも行った。電車なら駅で4つ目、車なら40分、少し遠いが通える距離だ。こじんまりとしているが活気があったので思い切って申し込むことにした。
『新日本整体総合学院・熊谷校』の「足つぼ反射区コース(リフレクソロジー)」(夏の半額キャンペーン)に入学したのが、9月1日のこと。 

練習台になってくれた娘たちは、思いのほか喜んでくれた。教え上手の息子は、私の質問する筋肉や臓器について丁寧に教えてくれた。大人になるにつれからだに触れることは自然となくなっていたが、マッサージならなんのてらいもなく1時間近くも撫でたりさすったりできる。
手を通して私からの応援が彼らに、
彼らの頑張りが足から私に伝わりあった。
くすぐったいような喜びだった。

もともとリラクゼーションに興味はあった。いろいろなお店巡りをして、それをみようみまねで試して、どちらかといえば得意と感じていた。でもアレルギーを知らずにアロマオイルを使ってしまって相手に迷惑をかけたりする失敗もあった。ひとのからだに触れるのを安易に考えてはいけない、影響や危険をわかったうえでなければ、と自戒する気持ちも強かった。
足つぼは刺激する場所が多少ずれてもそれなりに効果があるし副作用も少ないということだったが、実際に学んでみると難しくやりがいを感じられた。

 

入学して1ヶ月もすると慣れてきて、まわりが見え始める。足つぼの練習をしていると、整体コースや矯正コースはより難易度が高そうに見えた。同時にみんながすごく楽しそうに見えた。あの仲間に入りたかった。整体そのものというより、ここにいる時間が好きだから、まだ卒業したくない、というのが本音だったかもしれない。
55歳からの通学は、読書や旅行、スポーツジムとは質の違う充実感があった。学ぶことがこんなに愉しいものだとは思わなかった。

そういうわけで、こころの準備はあらかたできていたところに、あの深夜のひらめきが最後のひと押しとなり10月14日、「中国整体コース<推拿(すいな)療法>」に追加入学したのである。

 

このコースは180時間の受講の後、試験に合格すれば「総合整体療術師」「総合つぼ療法師」の民間資格を得られるというもの。受講は足つぼと同じように、フリーレッスン制でそれぞれのペースに合わせて受講でき、卒業するまで追加料金はない。めやすの時間を越えても自分で納得するまで無期限で学ぶことができる。

具体的にはさまざまな手技の実技練習が授業の中心である。皆が白衣を着て、二人一組になって、1時間交代で施術する人と受ける人になる。進み方はそれぞれで違うし、矯正(骨格調整)コースの人と組みになることもある。プロとして働きながらレベルアップのために練習にくる協会員もいる。高いレベルの人もいれば初心者もいる。就職目的の人もいれば趣味に徹している人もいる。いままで関わったことがないようなタイプも多い。いろいろな世代・タイプの人と組めるので、とても勉強になる。筋肉のつき方も柔軟さも凝りの場所も、ひとりひとりが違うので、その人その人に合わせた力加減を学べる大事な経験になる。手技のこつをつかんでいくのは難しく、同時にとても愉しいことだと実感する。
いままでのわずかな経験のなかで印象に残った例をあげると、足つぼの試験の時、初めて校長先生の両足に触ってみて、なんて男気に満ちた逞しい足なのだろうと、見た目の繊細さに、いい意味で裏切られた。
「本当におつかれさま」と声をかけたくなるような身体もある。
「右足の親指に硬いたこがあるこの人は、足を踏ん張るような力仕事を長年してこられたのかな」と想像したりする。

どのおからだも、どのおみ足も、一度触れさせてもらうと、とてもいとおしくなる。不思議な感覚は他にもあって、例えば、施術していると自分の手が熱を発して膨らんでくる感じがする。からだも火照る。そして自然に深い呼吸になれたときには気持ちが落ち着いてくる。癒されているのは、むしろ私のほうかも知れないと感じる。
逆に、押圧するとき息を止めてしまったり、無理な体勢をとったり集中できなかったりすると、息があがり汗がふきだして、どっと疲れてしまう。
「上達するに従って疲れずに施術できるようになりますよ」と先生はにこやかに請合ってくださるがそう簡単ではなさそうだ。

  受講生の施術を受けることも同じように勉強になる。「響く」という感覚を磨き、「快、不快」のわずかな違いを体で覚えるためにも大切な時間だ。時にはうとうとしてしまうが、それもいい。自動的にメンテナンスしてもらえるシステムは魅力である。

習い始めのころ、たまたまの組み合わせで指導者の整体を1時間受けたことがあったが、とても印象深かった。
他の受講生と同じように、ベッドの頭側から、横から、上から、めまぐるしく移動しながら施術していくのだが、彼の気配だけがほとんどないのだ。まるで温かい手だけが宙に浮いているかのように、彼の身体感覚が消えている。息づかいも足音も聞こえずひっそりと静まっている。それでいて、ぐいぐいとつぼに入って、イタキモチイイぎりぎりのところで、深部の凝りをキッチリほぐしていくのだった。会話は最小限でも、からだに直接語りかけてくるものは実に多弁だった。

びっくりだ。
お金を払ってでも受けたい、と思わせるプロの手技はこういうものなのだなと実感した。
道ははるか遠いが、めざすモデルが目の前に存在することはなによりありがたいことです。

 授業では実技だけでなく校長先生による座学もあり、そちらも興味深く聴いている。東洋医学概論、解剖学、西洋医学と東洋医学の違い、陰陽論、気とはなにか、五行説、経絡(つぼ)、呼吸法、整体師の心得など、奥が深く、容易には理解できないが面白い。
図書館に行っても、今まで通り過ぎていた棚に視線がいくようになった。入口は無限にあって、中に入ると迷い子になりそうな世界だ。

東洋医学を学んでいるとはいえ、この学院で得られる資格は国家資格ではない。日本では、整体師による医療行為は法律で禁じられている。国家資格である、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師及び柔道整復師とは、はっきりとした法的な区別がある。整体はあくまでも、癒し、ほぐしを目的とした「手技をつかったリラクゼーション」の位置づけである。
卒業後は開業する人、温泉施設や接骨院、整体院に就職する人、福祉施設のボランティアを目指す人などさまざまだ。そういう意味では、垣根は低く、入口も出口も大きく開いているから、私のような目標の曖昧な人間でももぐりこめるのだ。

 なにはともあれ、9月から習い始めた足つぼは、約70時間の受講の後、12月1日の実技試験にパスして、「足つぼ反射区療法師」の民間資格を得ることができた。一歩まえへ。いま現在は、整体の基本をひととおり習い終えたところである。卒業を頂上だとして、まだ山の2合目くらいだろうか。

私の場合、通学は多くて週4日、1回に4時間から最長で8時間。車で行ける日はお弁当を作って、夫のお昼ご飯も用意して、毎回白衣にアイロンをかけて薄化粧して10時に家をでる。
お昼休みには車の中でお弁当を食べてから30分ほど横になる。車が無い日は電車で籠原駅まで行って、そこからバスか歩きで向かう。お昼をコンビニで買って近くの公園のベンチで食べる日もある。

長年仕事中心で家に “ひきこもり”だったので、そういうささいな変化がとても新鮮に感じられる。
帰宅するとすぐに夕食とハルの散歩をして、それから夫とスポーツジムに行き、筋トレと水泳に励むので、家に帰ると夜の11時などというハードな日もある。
なんでこんなにも勤勉に遊んでいるのだろうと可笑しくなるが、ありがたいことに心身ともにへばらずに通学の日々が続いている。

 

「ノユーク・チャイ」誕生

 

整体をやるには専用のベッドや特別な枕、高さのあう椅子などが欠かせない。体勢が悪いと疲れるし、無理をすれば自分の体を痛める原因になってしまう。もちろん受ける人の心地よさが最優先で、そういう意味でもカタチは大切だ。先生にも相談して、自分にあったサイズや形のベッドをネットでオーダーメイドすることにした。
すると、目当ての業者は個人と取引しないという。ならば整体ルームの夢に名前をつけてしまおう。
こんないきさつでつけた名称が「ノユーク・チャイ」だ。

那須烏山からダンボールいっぱいの柚子が届いた日の深夜。
キッチンで柚子ジャムを作っていたときに、ひらめいた。

私の整体ルーム構想は、人から見たらきっと、アリの吐息のようなものだろう。でも私にとってはドラゴンの気炎。
未来の夢だからこそ、イメージが自由に広がるような名前を与えてやりたい。
大好きな上橋菜穂子さんの守り人シリーズには、作者の創造である異世界の呼び名があり、国ごとのバリエーションもある。ナユグ・ナユーグル・ノユークなどだ。壮大な上橋ワールドの中から「ノユーク・チャイ」という言葉が浮かび上がってきた。文庫版『神の守り人 帰還編』の61ページ、牢獄に囚われているチキサがタンダに語る場面に、その言葉は登場する。

 

「森を歩いていると、不意に、ほかのところより大気があたたかい場所に出ることがあるんです。ぼくらは、そういうところをノユーク・チャイ〈ノユークの水溜まり〉ってよぶんだけど、あの日罠をしかけたのも、そんなふうに、妙にあたたかい場所でした。」

 

小説の「用語集」によれば、ノユークとは<神々の世界>、異界、聖なる世界のこと。ネットのあるサイトによれば「ノユーク・チャイ」はロタ語で、意味は、ノユークの水溜り、ほかより大気の暖かい場所のこと。カンバル語ではノユークの陽だまり、と説明されている。ロタ語もカンバル語も、もちろん作者の創造であるが。

この小説『神の守り人』は、目に見えないノユークの川を、畏ろしき神 “タルハマヤ”が流れ来て、現実の世界の、あるものには大いなる厄災を、あるものには大いなる救済を起こす、というおはなし。興味のある方は、ぜひシリーズ第一集の『精霊の守り人』からお読みください。

ノユーク・チャイということばを、私は響きのよさで「異世界の陽だまり」と意訳したい。いつの日にか、異世界の陽だまりのようなあたたかい流れを、私の整体ルームから生み出せますように、というねがいをこめて。

  

オープン記念日

 

さて、ようやく名称が決まり、注文したマッサージ用ベッドは、私の56歳の誕生日に合わせて納入してもらった。とりあえず2階の和室に置くことにした。琉球畳に、手作りのガラスランプの灯りがほのかに写って、狭いけれど心地よい空間になった。
足つぼ反射区療法師の資格はあるものの、まだまだ修行中。整体もまだ始めたばかり。でも「ためしに練習台になってもいいよ」という奇特な方があれば、喜んで施術させていただきたい。そんな思いが募ってジョークまじりに “オープン記念特別ご招待券”まで手作りしてしまった。
ああ、私は、目も当てられないほど、はしゃいでおります。

 

ノユーク・チャイ特別ご招待券
Foot therapy(足ツボ反射区マッサージ)&China therapy(中国式整体)
お試し期間につき2014年12/23~2015年3/30まで何度でも無料にて承ります。
お問い合わせ・ご予約は民宿朝子へどうぞ

そして迎えた12月23日、夫がはじめて私の整体を受けてくれた。

私は正式に白衣に着替えて、整体80分コースを、心を込めて施術させてもらった。ひさしぶりに触れる彼のからだはこわばって固かった。押圧すると、くっと、息を止めてしまうから、
「なるべく息を止めずにゆっくり吐くようにしてみて」とだけ話した。
おおきな動きのストレッチが気持ちよかったようすで、終わってすぐに明るい声で「これ、いいな。これからも頼むワ」と言ってくれたから
「ありがとう。いつでもどうぞ」私もうれしく答えた。

こうして2階の和室に整体ベッドを常設することが既成事実になった。
「ノユーク・チャイ」の名前はまだ明かしていないものの、実体として、整体のスペースが家のなかに堂々と誕生したのだ。それだけでもう願いは叶ったようなもの。
“おひとりさま ”を待たずして、夫から無視も禁止もされずに。あっけないほど早く、拍子抜けするほど抵抗なく。
ああ、明日になって目が覚めたらこれは全部夢で、すっかり消えちゃったらどうしよう…。

 

これからも一生懸命修練していこう。
整体というツールを使って、ことばに頼らない密やかな会話ができるようになれたらすてきなことだ。
手のひらを通じて、深い呼吸をシンクロできたら、きっとその瞬間、そのかたと私の間に小さな陽だまりが生まれるだろう。
ゆらいだり、消えたり、深まったりする、決まったかたちのない、出会いの一瞬一瞬こそが「ノユーク・チャイ」の本当の意味での “オープン”なのかもしれないから。

                「もらとりあむ37号 2015冬草」収録

 

 

 

 

 

 

 

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