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衰退の輪郭

学生の時分に私鉄沿線の家賃6万円のアパートに住んでいた頃、駅前のなか卯で夕飯を済ませているスーツ姿の中年男を見て鬱々とした気分になったことがあった。窮屈なスーツと革靴を着込んで自分の時間のほとんどを労働に捧げた報酬としてはあまりに侘しく当時の自分には映ったのだった。真面目な学生であれば就職活動を終えようとしているような時期にも関わらず申し訳程度に一社受けただけで、その一社にも一次面接であっさりと落とされた後は何をするでもなく日々、今となっては思い出せもしないような瑣末なことに悩み暮らしていた時のことだ。今、自分があの時の中年男と同じくらいの年代になってみると、夕飯をなか卯で済ませることができれば上等である。当時、まさか国の衰退に立ち会うことになるとは思わなかった。自分が中学生くらいの時に日本はバブルがはじけ、すでに失われた30年が始まっていたのだというが、田舎の中学生にそんなことはわからずのんきに暮らしていた。うっすらとこの先もそんなにいいことはないのだろうという空気を感じ取ったのは、結局どこにも就職することなく派遣社員として働き始めたころだった。日々、暮らしていくことはできたものの、蓄財するには能わなかった。その後、運良くある会社に正社員としてもぐりこむことができたものの経済状態は変わらず、そうこうするうちに全世界的な金融不況とやらもやってきて暗雲立ちこめた。また少しすると、給食費が払えないこどもの問題や、家でごはんが食べられないこどものためのこども食堂なんてものが目につき始めた。初めて街の掲示板でこども食堂についての掲示を目にした時、軽い興奮を覚えた。その興奮がどのような作用によるものだったのか自分でもわからない。

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