グリーフケアの会に参加してみた。
2021年3月。前から行ってみたかったグリーフケアの会に行くことができた。コロナ禍の合間を縫ってやっとの開催。
実はこの会の主催者は、私の中学時代の恩師Y先生である。数年前に駅でグリーフケアの会のポスターがスタンドにささっていて、写真を見た時ビックリした。
Y先生は体育の先生で、いわゆる産休先生として、短期間ウチの中学校に来た。頭の硬いジーさん先生ばかりだった我が校には新風のような存在で、新しい価値観やものの見方を教えてくれた。まるで夕陽に向かって走る青春、学園モノを地で行くようだった。
だが、ピンチヒッターなので、すぐに学校を去ることになった。今なら分かるけど、その時は校長に辞めさせられたのだと思い、友達と二人で学校に頼みに行こうかとか話した。
その後、Y先生は隣町の中学校に正式に着任された。私は高校生になっても何回か、友達と放課後の先生を訪ねた。新婚のおうちにお邪魔したこともある。だからきっと私のことは覚えてるはずだと思う。
是非とも先生に会いに行きたかった。
だが、私には行く資格がないのではと思って躊躇していた。実の親と夫の親、合わせて4人を見送っていたが、4人とも80代まで生きたし、自分たちは介護をやり尽くした満足感もあった。
勿論,いなくなった悲しみや、こうしてあげた方が良かったという後悔はあるが、ひどく落ち込むということもなかった。それでグリーフケアを受けるには当たらないと自己判断していた。
娘が亡くなった時、「Y先生に会いに行こう!」と思った。
ていうか、「これでY先生に会いに行ける」という感じがぴったりくる。
グリーフケアに参加する正当な理由ができたと思った。
会は2部に分かれていて、私は午後1時からの「子供を亡くした親の部」に参加した。もう一つは午後3時からで、「家族を亡くした人の部」だった。
事前申し込みは不要で会費は500円。
時間は1hで、その日の参加者が順番に話をして行くという形式だった。
他の方の話を傾聴すること、話の内容を他言しないということは当たり前のことだった。
その日は私を含めて、3家族だった。
偶然にも20代の息子さんを亡くされたお母さんで、長期闘病と突然死だった。
詳しくは書けないが、みんな原因探しをして、自分責めをしていた。
もう少し〜していたら…
或いは〜しなければ…
悔やまれますと言って、泣いていた。
母親なら特にそう思うだろう。
子供を守ってやれなかったと。
みんな同じだ。
そして、明らかな加害者がいない時は、究極自分を責めることで自分を落ち着かせようとする。
私も同じだ。
何が足らなかったのか?
或いは何をし過ぎたのか?
今でも問うことがある。
ファシリテーターのY先生は、人に言えないことや汚い気持ちでも何でも吐き出した方がいい、この場をそれに使って下さいと言われた。
確かに、なす術もなく一人でかかえ込んでいる人には、とてもよい会だと思う。どんな思いも安全に受け止めてくれる受け皿は、悲しみに暮れる人には救いになるだろう。同じような人がいると知るだけでも少しはホッとする。
が、結論として、私は継続しないことにした。
理由は、私はもうこの段階を過ぎているかなと思ったから。
というか、初めから飛び越してたかも知れない。
そして、一番ネックになったのは、通うのに時間がかかりすぎること。
ローカル駅からローカル駅なので、片道1時間30分かかる。
そして、参加者がたくさん来たら、話す時間がとても短くなる。
往復3時間かけて、話すのが10分とかになるかもなら、少し考えてしまう。
そしてそして、Y先生は私のことを全く覚えていなかった(涙)
話してる間も、全く思い出してくれることもなかった。
あれから途方もない数の生徒と出会い、その後もグリーフケアの活動をしてるんだから、そりゃ無理もないか。
でも継続しない理由が「先生が覚えてくれてなかったから」ではない事だけは明言しておきます。