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週報90(2020.3.2〜2020.3.8)

週報の時間です。

今日は雨降りの日曜日で、傘をささずに歩くには、少々降りが強いです。傘に手を取られることで、人の行動は制限されます。

○自由について

制限という概念について考えると、こと創造性に関しては、その自由を妨げる悪しき要素であると捉えることがあります。確かに、ピアノだけの曲と、と、ギターだけの曲は存在しながら、しかしピアノとギターのデュオ曲が許されない世界は、少なからず音楽的な可能性を閉ざすもののように感じられます。使える楽器、もとい与えられる選択肢は多ければ多いほどよいという創作的な立場は、大部分の人の首肯をさそうはずです。

ただ、複数の楽器を用いるという仕事は、各パートの働きを充分に把握することを要求します。それは、ただ一つの楽器だけに集中する自由を奪います。だから、複数の楽器を使う自由は、自由であると同時に、創作者へ課される不自由でもあるように思えるのです。

こういうことを考えると、巷間言い囃される「自由」というものが、選択肢を数多く与える点について強調されこそすれ、そこに付随する責任とか心理的負担の類が、良からぬ意味で、楽観的に了解されているようにも見えます。そんな状態でありながら、我々は表現手段を獲得し過ぎるように思います。今日、最も日常的な創作行為の一つに、Twitterを用いた作文があります。その発表されるツイートの一件ごとに、受け手は、発信者の人となりを判別しているのであり、書いた側は、そのつど品性を、知性を、人間性を見定められ(あるいは見限られ)ているといっても、言い過ぎではありますまい、そのように思います。

イメージとしては、選挙ポスターなるものに近く、これは立候補者の出で立ちとともに、座右の銘を傍に書いたものですが、Twitterでの投稿の一件ずつがこれに準ずる扱いを受けても過分はないと、今に至ってようやく思うようになりました。とはいえ、こういことも、少なくない若き日の過ちの上に成り立った気づきに違いないので、ひとにどうこう言うことは絶えてなく、やっと身につけた小さな謙虚をありがたく胸に宿して生活にあたるばかりです。

このコラムに通底する考え方として「所与」というワードがあり、これは大学の恩師から学び取った概念ですが、近く投稿される器楽曲のヒントにもなっていますので、ちょっと覚えおかれると面白いかもしれません。

○また来週…

今年の卒業・入学シーズンは、多くの学生にとってままならぬ所が少なくなさそうです。自分自身の学生時代には、それらの行事が何不自由なく運んでいたことを思うと、不憫であるようにも思われますが、十全たる状況で卒業式・入学式を行い得ないかもしれない彼らだからこそ、その有り難みを、普通に通り過ぎてしまった人たちよりも深い層に降り立って理解できるのかもしれません。

学生諸君の船出に良い風の吹くことを願いつつ。

また来週お目にかかります。

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