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週報119(2020.9.21〜9.27)

週報の時間です。

このところ、やってみたいことがたくさんあるのですが、その「やってみたいことがある」という心理的状態がいかなるものであるのか、考える機会に恵まれました。その「やってみたいこと」は、どうも「いまやっていること」以外の分野から姿を表すらしく、端的にいって進めている仕事から一時的にでも逃避したいという気持ちの表れとして「何か別のことをしたい」という発想に見舞われるらしいのです。実際、今の私は10月末の頒布会に向けて連日パソコンに向かっているので、そういう緩みの生まれるのも仕方ないことと思います。

「やってみたいこと」はあくまでうら道です。本線をないがしろにするわけにはいきませんね。いっときうら道に逸れたとしても、やり残した仕事がすぐに気になる始めるものです。今回は逃げずによく作っていると思います。そういうわけで、制作は続きます。

私は街中で気になることがあるとすぐ記事にする癖があるので、その餌食となる現場のみなさん方には申し訳ないと思いつつも、密かに人間の貴重な生態サンプルとして考察の材料にしているのです。今回出会したのは、雑貨屋でイヤホンをしたままレジに向かい、会釈をしたり言葉を発したりすることなく精算を終えて立ち去っていった女子高生です。イヤホンをしたまま人と対面するということ自体が、私にとっては不自然なことなので、レジ待ちのあいだ、この現場を違和感とともに受け止めていました。

このところ、お客の立場とは、そんなに万能なるものなのだろうか?と思わされることが多くあります。お店が、お客の支払うお金を収益として営業を続けられることは確かですが、それがお金を支払う側の居丈高を許す理由にはならないでしょうね。お店が「買っていただく」のと同じように、お客は「買わせていただく」わけです。本来お互いの立場は対等のはずです。

売買取引は、かつて一対一の物々交換で成り立っていた時代を経て、いまでは量販店で大量のお客を捌くようになりました。それでも、「このお店に置いてあるこの品物を欲しいので、このお金でゆずってもらえないだろうか?」という取引が存在することは依然として変わりません。

ただし、同じ品物が複数の店舗で購入できることから、お客は同じ買うならということで、より快適な空間に引き寄せられます。お店の側も、なるべく価格を下げる努力をするだけでなく、接客術でお客を満足させようと工夫をするわけですね。

問題は、この接客術です。より多くのお客の心を掴むために練られた接客の術が、一部のお客をして「私は丁重に扱われるに足る優れた人間なのだ」という誤解に陥らせしめることになります。簡潔に要点をまとめると、商売の術に過ぎない接客術を勘違いして、自分が偉いと思う人がある、ということですね。

先の雑貨屋の話に戻りますが、前述のような理由から、お客が従業員を自動券売機のように扱ったり、プライベート上の不機嫌をぶつけるといったことは、論理性を欠いた処理であり、これを概して「こども」と言わなければなりません。その概括に年齢は関係ありません。

この話を踏まえて、最後に一つ体験談を記します。こちらはコンビニレジでの出来事ですが、私に対応した従業員は終始無言で、黙ってバーコードをスキャンし、会計の金額は画面表示を勝手にみろと許りに押し黙っています。私はこれまでの人生で受けてきたレジ接客を思い出しながら、この新たな接客パターンとの邂逅にいささか衝撃を受けていました。

結局、問題なく商品を購入し店を後にしましたが、帰途を辿りつつ、先の雑貨屋の女子高生とレジ員の振る舞いが入れ替わったら、こういうことになるのだろうな、と思いました。もしかしたら、無言の従業員も、接客疲れから色々と思うところがあったのかもしれません。私は、この従業員に同情します。しかし、次から別のお店に行くでしょう。

○また来週…

すっかり涼しくなりまして、救われました。ことしの夏はあまりに暑く、もうこのまま気温が下がらないのではないかと、大きな不安に支配されていましたが、我れが救世主たる秋は、ついにやって来ました。

芸術の秋。ここでアルバムを出さずにいつ出すのか。制作はまだまだ続きます。皆様におかれましても、日々が心安らかでありますように。

また来週お目にかかります。


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