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週報115(2020.8.24〜8.30)

週報の時間です。

8月も今日と明日で終わります。本当に暑い月間でした。それでも思い返すと一瞬のことのようで、これは過ぎ去った日々は全て「過去」というタグづけのもと、一緒くたにされるからなのかもしれません。

昔のことを思い出すとき、1倍速でことを進める人は少ないでしょう。必ずコアとなる記憶を頼みにして、飛び石の上を渡り歩くように思い出していくはずです。反対にいえば、印象の強くない出来事は記憶の海に沈殿し、よほどの条件が重ならないと喚起され得ないわけです。

人は五感の様々な刺激をきっかけにして記憶を呼び覚ましているようです。現代人は昔の人と比べてものごとに感応する力が衰えていると言われますが、それはそう平面的には首肯しがたい指摘で、一刀両断にしてしまうことの快は確かにあるものの、無用意な断言との謗りを免れえない劇薬であろうと思われます。

本居宣長の『玉勝間』だったか、真新しい新説を唱えては衆生の目を引かんとし、古説を引き合いに出しては古き言い伝えに誤りなしとするのは、学問の世界に身を置く者としてどちらも甚だ頼りない、との旨のクレームがあり、それはその通りだと思わされたことがあります。

真に自分の主張を展開したいのであるなら、「他者への寄り掛かり(先行論文のみを主張の元とするなど)」を徹底的に廃さなければ、借物の人生に終わる弊は必至のものであるし、結局、研究対象そのものにあたらず、それを調べた人の話を聞いただけで判断するという彷徨にはいちはやく終止符を打たねば、際限なく自動生成され続ける迷宮を脱すること能わず、生ける徒労となって浪費と倦怠のうちに生涯を終えたとしても、文句をぶつける先はどこにもなく、何となれば身に降りかかる諸事はそういう生き方を選んだ自己の責任であるためです。

勿体ぶって書いた上の冗文は「だって○○さんがこう言ってるんだもん」が自身の主張の正当性を守る最終装甲板では心許ないのではあるまいか、と言っているに過ぎません。

この夏、物を考えるのに不向きな酷暑の中、大きく変わった生活の様を目の当たりにし、既成の価値観に疑いの生ずることも少なからずあったことと思います。

2020年の8月に起きたことをざっとお思い出すのにさほど時間はかかりませんが、この期間が日本ひいては世界にとってどういう意味合いのものであったかを評価するのには、まだまだたくさんの時間が必要でしょう。雨後の筍の如く掃いて捨てるほどにある「コロナ後はこうなる」といった類いの主張は、結局未来のことは誰にでも何とでも言えてしまうというという、冷たい視線をもって当たらなければ、それこそ空論に振り回されてて徒労を得るに違いありません。

○また来週…

ラジオ配信はしばらくの間お休みしますが、これはアルバム制作を一気呵成に進めるためです。週報は通常どおり書き続ける予定です。

次号は9月に入ってからお目にかかります。

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