週報130(2020.12.14〜12.20)
週報の時間です。
今年も残すところあと10日余りです。年の瀬だからといってこの期間の過ごし方に特別の意味があるわけではなく、普段通りの日常を過ごせばよいのですが、人の気持ちを煽り立ててお金を使わせるのが経済の宿命なので、年末年始の過ごし方に特別の感を付与せんとの謳い文句とともに種々様々の策略を企て“年末商戦”を闘う諸企業方々のありようは、今年という時機にあっても変わることなく、例年にならい慌ただしい時空が展開されています。
このところ自身の語彙の不足を呪うこと甚だしく、意識的に辞書を繰り本を読みするように心がけていますが、甲の本を読み始めると乙の本が気になり、乙の本に移るとまた甲に戻りたくなるといった為体で、こういう性状は予々よくないと思い一つの本を読み始めたらそれに没入するよう気を張るのですが敢えなく失敗することも多々あり、読書生活の危機に瀕すること久しく悩み果てるこの頃です。
(余談ですが、一文がやたらと長くなるのは、敬体文では文末を「です」或いは「ます」で統一することが多く、一文を切るたびにこの2語が頻出するため、読み味としてくどくどしく鬱陶しいので、複数の事柄を一文内に可能な限りまとめてしまおうという意志が吾人に働いているようです。常体文は文末に丁寧の助動詞を逐次補う必要がないため動詞ごとに多彩な終止形で結び得るのが好都合ですが、1週間の活動報告に用いる書き味として少々粗野な感じが出てしまうので困っております)
さて一つのことに集中できないというのは実に呪わしいことで、いま応接している事柄に没頭している時が人間として本当の意味で生きている時だと私は捉えているため、片方で何かを気にかけながらするというのは面白くないことです。二つのことを同時に行うことはできないということです。これは甲の本を読み終えなければ乙の本を読んではならないと主張するものではありません。甲乙の本を同時に開いて1行ずつ交互に読み進めるような行動が愚かしいといっているだけです。どうせ読むなら“最大効率で”などと思ってしまうのも人の性(さが)ですが、同時に二兎は追えません。
ピアノは左右の手と利き足を使うので同時に三つのことを進めていますが、これは総合してピアノを弾くという一つの単一動作を行なっていることになるので、同時進行の愚を諭されることはありません。右手でピアノを弾きながら左手でトランペット、両足でシンバルとキックを演奏する人がいても、これはこれで複数動作が組み合わさってできた単一動作を行なっているといえます。そんな大道芸的な大技に比べたら二つの本を同時に読む方が楽なのではないかと思われるかもしれませんが、その試みの意味深さという意味では積極的に肯定し難いと言わなければなりません。
そう言う意味で、聖徳太子の伝説はあたかも同時多発的に複数の事柄を並行できることが人的能力の極致であるかのように捉えられがちで、あまりうまくない気がしています。そういう超常的な偉人がいたという話が国民の精神を発揚するところがあっても、これを目指すべきゴールに据えると行き先を間違えるだろうと考えます。
ここまでお読みになった方の多くは今週特筆すべき出来事のなかったがために瑣事を大袈裟に展げて語っている私の詐術を指摘されるかもしれませんが、書きはじめは実際そうであったにせよ書き続けると何がしか言いたいことが浮かんできてそれなりに形になっていくというのはよくあることで、ものを書くにせよ曲を作るにせよこれは必要な態度だと思っておりますので、どうぞお許しください。
○また来週…
次週は年報を投稿します。自主依頼とりまとめてアップしますので容量は嵩みますが、よければお付き合いください。
それではまた来週お目にかかります。
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