年末随想
何となく発熱や体の痛みが認められるので、風邪を引いたかと思います。思考はまとまりにくく、また脳が体に指令を発しようとも鈍重な腕部脚部が私の思い通りに動いてくれないので、タイトルに自由と好奇心の象徴たる「wind」の意味合いはないことをここに不言します。
風邪をひいたときにしか書けない随筆があると思うので、試してみようと思いワープロを開く次第です。以前「note」で投稿した記事の上で、雨の日は人々を家に閉じ込めるゆえ、彼らを内省的性格に変えるといいましたが、これは風邪をひいた時にも同じことが言えそうです。風邪をひくと外出ができず問答無用で自宅療養、目下の関心は専ら自身の体調に集中するので、隣近所は愚か世間の出来事を追っている余裕もないのです。
しかし悪いことばかりではありません。ともすればスマホやPCの画面に表示される情報に一喜一憂しがちなネット偏重生活の、その流れを変えるチャンスが手に入るのです。これは良いことだと思います。定例化した行為が物理的に遂行不可となった際、そもそもこの行為にはどういった意味があるのか?と問う機会に恵まれるわけです。
健康状態から逸れて初めてそういう考えの及ぶのも情けないようですが、一方では万人にとって避けようのない真実ではないでしょうか。三浦綾子氏の随筆だったか「病気でないにもかかわらず、真っ当な精神を持ち人生を送ることのできる人は素晴らしい」という一節が思い出されます。
作家の性(さが)なのか、体調不良が返って創作に向かわせるところがあるみたいで、自身の生命が脅かされているからこそ世間に作物(さくぶつ)を残そうという意思が働くようです。無論ここで草臥るつもりはないですが、こういう身体の不具合はいつか終わりを迎える生身の存在としての自己を再認識する助けとなります。
そもそも不具合が全くない十全たる健康状態を求めるのも妙な話で、人間、アレルギーとか慢性的な炎症とかいった色々の不都合と少なからず並走するのがふつうなので、私を殺さない程度に今後も健康のありがたみを教示する師たれとか、自分の煩わしい慢性鼻炎が製薬会社の収益となり誰かの生活の糧になっている、とか考えて思いすごす技術は有用でしょうね。こういうのを「知足」というらしいですが。
話は変わりますが、関係のある話題に移ります。最近読んでいる本に「ぶどう畑のぶどう作り」という作品があり、これはルナールという人物の手によるもので、岩波文庫の赤シリーズの一冊です。ただし直木賞のような筋書きを求めて読み始めると退屈で寝てしまうでしょう。
面白くなければ途中で放棄するという読書法は、今の私とは相いれない作物接触上のあり方で、そもそもなんと直截的なタイトリングだろうと心惹かれて購入した自分があるのだから、読み通すのが筋だろう…と、眠い目を擦りながら読み進めます。どうもルポルタージュの要素を多分に含むらしく、序盤はけっこう退屈な時間を過ごしましたが、端的に人の生活を描写するようでいて、実は色々深まりのある話題を隠し持っている作品のようですね。
結局私の言いたいことは、「どれが面白い本か」を探す力より、「いかにその本を面白がれるか」という力を磨いた方が、幸せを感じるチャンスは増えるんじゃないか、ということです。物事を楽しむ機会は無尽蔵にあるのに、企業が組織的に作る話題や等級づけ丈を頼りに面白いものを探すというのは自分の人生観を他者に決めてもらっているようなものです。毎年新しい作品群が生み出される一方で、長い間読者愛好者の厳しい鑑賞に堪え続けてきた作品に時間を費やすこともお勧めしてやみません。
結びに、先日音楽配信代行業者から連絡があり「あなたのアルバムがカナダで28位(渋い)にチャートインしました」という祝いのメールを読み、等級付けも悪くないな…などと思ってしまう体たらくをご報告して終わります。
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