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週報108(2020.7.6〜7.12)

週報の時間です。

梅雨時が人に疎まれるのは、雨降りという天候によってもたらされる不快指数の高さもさることながら、傘の携帯を強いられることで封じられる片手の自由ということも大いに関係あろうと思われます。傘という品物の進化速度は緩やかで、「折り畳み傘」「ジャンプ傘」といった新しい機能が目ぼしいのを除けば、あとは開発当初の形態からそう変わらないようですね。考え方を変えれば、傘は発明の時点でもう完成されているから、これ以上大きく変化しようがないということなのかもしれません。

一方、雨を防ぐという目的を達成しさえすればいいのなら、何も人間が自分の手に持つまでもなく、遥か上空にシェルターを作り、雨天の際に町全体をカバーしてしまうような構造にしてしまえばよい、そんな考えは余りに勝手でしょうか?いえ、規模は小さくなりますが、既に存在しています。それは例えば、東京ドームです。日本の球場として名高いこの建造物には巨大な屋根が架かっているので、雨天によるイベント中止の心配がありません。

しかし、そんな東京ドームでも、雨天によって試合が中止されたことがあります。台風によって新幹線の運行が見合わせになり、対戦相手が東京へ来られなくなってしまったというケースです(平成2年8月10日、読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ戦)。こうなると、屋根を架けるのなんのという話では片付かなくなってきますので、己が不運を呪い諦めるほかなし。残された道といえば、天候を人間の手で操作することくらいです。これは気象制御と言われますが、何もサイエンス・フィクションの世界に限った話ではなく、日本においても実際に試みられた挑戦だったのです。

遡ること約60年、1960年から1962年のあいだ、平均降雨量が平年の半分を下回るという記録的な渇水が起きます。高度経済成長政策をバックグラウンドとして、東京都は急激に人口が増え(一極集中)、工業用水の必要からも水の使用量は大きく増加しているので、これらの要因が相まって水不足を引き寄せてしまったのでしょう。都は1961年から制限給水を開始しており、これは最大で給水量が50%まで絞られたため、都内の生活者および労働者に相応の混乱を来したものと見られます。

お察しの通り、これは東京五輪に近い時節の出来事です。1959年のIOC総会で日本は1964年開催の夏季五輪を開催する権利を得ており、大イベントを前に大会関係者は異常気象に悩まされたことでしょう。こういった気運から、気象制御の一つとして人工降雨が試みられたわけですね。

ただ、人工降雨といっても、発達した雨雲があって初めて人間が手を加えられるという条件付きで、雲ひとつない快晴の空に雨雲を作り雨を降らせる、奇跡のような術(わざ)ではないですし、さらには、本来の雨量の110%を降らせるという成果にとどまることを考えれば、その奏効の程は決して手放しに喜べるものではなかったのです。

いろいろな話を引き合いに出しましたが、やはり雨を降らせたり空を晴れにしたりすることは未だ人の分を超えるようで、今日も街ゆく人々は雨傘片手に少々不便な一日を過ごしています。ふる雨は鬱陶しいですが、往時の水不足など、色々のことを考えてみますと、例年通りの雨量が記録されてゆく日常というのも、他方ではありがたいことです。

○また来週…

音楽の方は、外部からのお仕事を受けながらアルバム制作を進めています。間も無く梅雨明けでしょうか。雨が降りや曇天が続き過ぎても、今度は冷害になってしまうので、四季に則りバランスの取れた気候が順次訪れることを望む所です。

また来週お目にかかります。

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