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川と魚と風

小学校2年生のとき、渓流へ魚釣りに行った。これは学年がまるごと大挙して出向くもので、ひとクラス30名の全3組、引率の先生を含めて100人くらいでの日帰り旅行であった。

山あいの駐車場にバスは止まり、そこから先は徒歩で川へ向かう。到着すると、はき古したスニーカーにTシャツ姿で、初夏の清々しい空気の中、水と戯れながらそれぞれイワナを手づかみで捕らえる。天然の川の水は冷たく、林に囲われた木陰であったことも手伝って、じつに涼しい。長時間バスに密閉されたストレスを消し去るには十二分の爽やかさであった。

近くに水道設備があるので、たくましい子は慣れた手付きで魚を捌きわたをとっている。私は、怖くて遠巻きに見守ることしかできなかった。鮮血が滴り落ちるさまは、ただ「魚をとって食べる」という漠然としたレクリエーションを想像していた私に、魚を絶命させるプロセスの抜け落ちていたことを厳しく指摘した。

とった魚は近くの旅館で調理してもらう。川を後にし、引率の先生を伴ってみんなでバスへ戻る。アスファルトで舗装された道は熱気をため、靴底を介してなお足裏を焼く。頭上からは真昼の日差しが一行を刺す。

私は少し、この熱気にのぼせていた。

行く手に、車両侵入を防ぐ鉄製のポールが2本立っている。児童たちが避けて通る中、私は間抜けにもそれに気づかず腹を命中させ、その場で倒れ込んだらしい。

前後のことは詳しく覚えていない。気づいたときにはバス近くの日陰でパイプ椅子に据えられ、直ぐそばで女の先生が団扇を煽いでくれていた。倒れてからどれくらいの時間が経ったのか。ただ、どうやら私がバスの発車を遅らせているらしい。意識もはっきりとしていたので、先生に促され座席に戻る。近くの席の子たちが心配げに声をかけてくれた。

バスが発進すると、窓から気持ちのよい風がすべり込んでくる。沿道の木々の緑は眼に鮮やかで、気持ちを和らげる。なにより、これから昼食にありつける期待感。ついさっきの苦しみも忘れて、すっかり気分を持ち直した。

他愛のない、しかし起伏に富んだこの一日を呼び覚ますのは、初夏に吹く風と決まっている。ちょうど、今くらいの季節だ。

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