-数学の話-
ちょっと、面白い話しを考えたので、久しぶりに記事にしてみます。
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例えば、この写真をみてほしい。
わたしたちは、子どもの頃から、1+1=2、と、教わって生きてきた。
ここに、蓋が1つと、本体が1つある。
つまり、1+1、ですね。
では、結果を、みてみましょう。
リップクリーム1つ、が生まれました。
え、2じゃないの?、と。
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1+1=1、の世界線のお話。
として、他のSNSには、投稿しました。
でも、ほんとうは、違うんです。
確かに、1+1=2、かもしれない。
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1+1=1、という数式を成立させるためには、そのすべての前提として、同一条件と、同一の世界線が必要不可欠ななんです。
1+1、で、原子を基準にするなら、=の先、その答えも原子を基準にしなければならない。
=、イコールで、結ぶのは、同一条件に限る。
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例えば、午後の紅茶、というものがあるとします。
その午後の紅茶が、「午後の紅茶が1つある」という、条件の下に、数式を使用するなら、砂糖やミルクをどれだけ大量に追加しても、「午後の紅茶が1つある」という状況に変化はありません。
1+1+1+1+1+1+...... = 1、となるわけです。
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ごみ箱、とかも、そうですね。
いくら、どれだけたくさんごみを入れても、ごみ箱の数は、変わらない。
1+1+1+1+1+1+...... = 1、となります。
ただ、イコールで結んだ先を、ごみの数、という単位、もしくは、純粋な総数、という物差しでみていくと、
1+1=2、の世界線となります。
そこで、例えば、70個のごみを入れたごみ箱を1つと、10個のごみを入れたごみ箱を2つ、その両者を天秤にかけるとします。
その基準を揃えるためには、まず、最初に、仮に、
70=1、と、20=2、とします。
ごみの数を基準にして、数式を作ると、
(70=1)>(20=2)、となり、
ごみ箱の数を基準にして、数式を作ると、
(70=1)<(20=2)、となります。
そして、子どもの頃に教わった、シンプルな数式、としては、
71>22、となります。
義務教育で教わるのは、この71>22。
それしか、教わりません。
(70=1)>(20=2)、とか、(70=1)<(20=2)、とか、
そんな数式があるのか、と、問われると、よくわかりません。
でも、わたしは、便宜的に、そうした数式を用いる、そういう生き方をして、これまでの半生を生きてきました。
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例えば、少し具体的な話にすると、
「ちょっと、ごみ箱の数、数えてきて」
と、言われたら、ごみの数は、関係ありません。
そこに、どれほどの大量のごみが捨てられていても、ノーカウントです。
それが、この世界線の、現実ですし、この世の中なのです。
義務教育で教わった教育は、役に立たない、とさえ、言えます。
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ADHD的なことを言うと、
(ADHDをばかにする意図はありません。自分にもそういう気質があります)
「すみません、ごみの数は、数えなくても大丈夫でしょうか?」
という、話になります。
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どうでもいい話をしているかもしれないし、そうでもないかもしれない。
ただ、物事をみるとき、というのは、自分がどの物差しで測っているか、という視点が抜けると、自分の物差しが、自分の物差しこそが、完璧な物差しである、と、錯覚してしまう。
自分と相手が、異なる物差しを持っているケースもある。
特に、わたしなんかは、世間や社会の一般的な物差しで、この世界を生きようとすると、一瞬で王手飛車取り、金銀桂馬総取り、みたいなことになるので、意図的に、作為的に、一般的な世の中とは、異なる物差しで世界を測るようにしている。
そういう話をするために、今回の記事を書いてみた、みたいなところもあります。
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多分、いつものように、とても面白い記事を書けたのでは、と、ご満悦のトーマスさんでした。
それでは、また明くる日に。
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