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茂木先生の講義へのコメント

東京大学大学院 認知神経科学講義 2023年 Lecture 4 Intelligence「人工知能革命」の同時進行レビューとともに。 - YouTube



 知性作用が多様性を見通すことに、その作用のレヴェルの高さが示される(14:00頃)というのは、当然のことと思います。  
 要は、物事を認識し知識化して、知能の高さを位置付けるのですから、多くの物事、言ってみれば時間的にも空間的にもより広い範囲の情報を得て、それを処理し、認識し知識として記憶保存すれば、知能は高まると思います。  
 これは情報処理速度の問題に関連してみれば、短期間で上の知能の上昇を果せるか、そうでないか、の測定になると思います。AIと機械学習で、それは確かに速まっていますが、処理速度が遅くても、物事の認識範囲が広い知性作用を働かせる人間等は、処理速度を超えて、物事全体を見通す場合もあると思います。直観であるとか、基本的洞察などと言ってみたりしますが、実際、物事の多様な様態に普遍的な共通性を「大雑把に見通して」宇宙の広範な範囲を認識することは、多くの例で生じていると思います。茂木先生が「奇跡の年」と紹介された例が、そのケースに当たる気がします。  
 AIにプロンプトを与えるのも、その共通性を見つけさせるコマンド―だろうと思います。    
 
 ジェンダーについては、横山広美先生との対談での茂木先生の見解が、ここでもデータを交えて出てきていましたね・・。    

 否定神学の話は、スピノザからでは唐突であると思います。そもそも否定神学的観点は世界中に古代期からあるとされていますが、初期キリスト教ではグノーシス主義を排除するために、そのグノーシス主義のキリスト教思想家が使った否定表現や神秘表象を嫌いました(私も講義を受けた荒井先生や大貫先生の著作をご参照ください)。さらにそれは神秘主義であるから、といううわべの観方で、近代以降、学問的にはあまり扱われなくなったようです。とはいえ、「否定の道」という仕方で「神認識(神に至る道)」の神秘主義手法は、ずっと考察され続けたのは事実です。  
 さて、その神秘主義的観点を持つプラトンは、古代のそれまでに集合集積された知識を、残しました。それに批判を与えて総合したアリストテレスの観点を弁証法過程において論議されたその後の思想史があり、その集合集積を中世で、トマス・アクィナスが行いました。というより、彼の『神学大全』を典型に見てもらうと分かりますが、多くの討論者に種々の見解を持ち寄らせて議論し、その上で検討した中世の大学の様式が、その著作に表現されています。この中でも「否定の道」がまとめられています。トマス・アクィナスは、『不可知の雲』の著者とならんで神秘主義といわれることさえあります(私はそう思いませんが)。  
 また否定表象といえば、ウパニッシャドなどの東洋思想も同様と聞きます。そもそも、「無」の表象も、まさに認識される現象を並べ、それではない、これでもない、と否定する、「何々で無い」というところからきたという説もあるそうです(私の師、山田晶先生の受け売りですが)。  

 長くなってすみませんが、知性理解に否定神学を用いるのは、もはや不要の気がしています。つまり、知性は知的能力の現象形態であり、実体的な存在ではない、実体的には脳やコンピュータがあり、その作用に現象が生じている、これが現在の認識だと思います。となれば、この作用と現象の根拠を探求するのが「肯定の道」、まっすぐに前を見る手法だと思います。トマスは、否定の道で留まりませんでした。以前、コメントさせていただいた様に、「神」という一般的表象を捨てたり、否定はしていませんが、深い考察の下では「純粋現実態」と言い換えています。actus purus、すなわちギリシア語のエネルゲイアであり、普通にエネルギーでいいのではないかと思います。  
 このエネルギーの宇宙における根本的存在様態を見出すことが、知性作用の向かう方向の様な気がしています。具体的には、ジョン・ホイーラーの「単一電子説」における普遍的波動性が、何らかの関係性において粒子性を示すこと、粒子性を示せば位置の把握ができる、すなわち情報になること・・・。エルヴィン・シュレーディンガーがアラビアの「単一知性説」を採択したこと、その知性は普遍知性として想定されること・・・。  
 こうしたところに、冒頭でみたように、共通性を見出せれば、人間知性もAGIも何も超えて、少なくとも、この宇宙の知性の基底を理解できる気がするのですが、いかがでしょうか?  (私の脳では限界なので、茂木先生に頼りたいです・・。)

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