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神は存在するのか

神は存在するのか - YouTube 
すみません、この動画を知りませんでしたので、2023年10月にコメントします。

 茂木先生の他の動画でも、「既に」コメントさせていただきましたが、「神」概念は原則、共同体内発生であるのはほぼ確かです。池上先生が触れられたのはこれかと思われる「2019年3月 慶應義塾大学 社会の複雑性の進化によって「神」が生まれた?-ビッグデータ解析により世界の宗教の歴史的起源を科学的に解明-」での報告に、誤差があったとしても大枠は正しい見方ができると思います。

 動物行動学では、人間共同体以前に狼やチンパンジー社会に、統率者中心の共同体体制は見いだせています。チンパンジー社会は人間社会の君主制にそっくりで、リーダーが高みから外部脅威への見張りをし、その前をメンバーはへつらう態度で通る。君主=神への人間の姿勢そのものです。動物の力の権威付け表象も、鬣、ゴリラのシルバーバックなどの様に、人間も「髪の毛」等で表現してきました。これが文化的にエジプトの王の即位の儀式で頭に香油を塗る(ユダヤ言語でメシア=油注がれた者=王)となったり、後に王冠になったり、社会的地位を現す髪型や冠位(聖徳太子も制定)になったりしました。神の力が髪に宿るというのは、『旧約』のサムソンや、ギリシア神話のメドゥーサにも表象されています。日本の相撲力士もびんづけ油で大銀杏を結います。日本語の「髪・上・守・紙・神」には、こうした共同体発生のニュアンスがあると、以前にもコメントいたしました。基本的にこうした神は共同体が農耕生活で大きくなると、灌漑・治水・建築などの技術労働、農業歳時記のために気象天文観測など、今で言う科学技術者も八百万の神として「最高神」の下に召し抱えられ、神々になっていきました。少し時代が下るとそれらが「神官」と表現され、現在に文化的継承されています。大体、この神官の登場辺りが、有史、即ち歴史記録が残ってきた時代であると推察されます。

 さてドーキンス等が分析批判をする神をみると、こうした人間の共同体内発生の神概念を対象にしています。少し違った論点で観ると、西垣通先生が『AI原論』を出された時も、西洋の唯一神とAI研究でみているものが重なるとされました。私は彼にその点について誤解があると指摘しましたが、唯一神は、ユダヤ教発生の際、自然発生的先祖崇拝をしていた遊牧部族の集合が、統一民族を形成する際、部族間契約で、特定の部族の神(日本の氏神の様な)にバイアスがかからないようにヤーウェ(在る)を置いて、民族統一をした象徴です。M.ミュラーも形而上学の関与しない遊牧生活者に、後代の思弁的意味合いを結び付けるのは間違いであるとしています。ユダヤ遊牧民はこうしてパレスチナ(ペリシテ)の農耕民の土地を奪取していき、その結果を「聖戦」であると正当化したのでした。

 では、西垣先生がこの唯一神と混同された「神」とは何であったか?

 この茂木先生の動画で最後に問題にされた、科学的にも高等思弁の上でも問われるべき宇宙の根本原理、ロゴスに他ならないと思います。

 結論を示すと、アリストテレスでは「ノエシス・ノエセオス思惟の思惟」として示されたものだと言えます。それは宇宙における自然の原理を論理で辿り、数理で示し、全存在を包摂・摂理していると想定できるロゴスである。そうした観点では優れて知性的であり、その働きは自己認識のみで一切を為し、自己概念を産出(自然必然では流出としてネオ・プラトニズムは描きます)すると神学は表現します。そしてアリストテレスの思弁の通り、それは完全(純粋)現実態エネルゲイアである、ということになります。

 この純粋現実態であるノエシス・ノエセオスこそが、茂木先生の仰る普遍的ロゴスであると結論できると思います。現在のこの方向の研究の一端が、津田一郎先生のアトラクター研究等で観られるのではないかと考えていますが、いかがでしょうか?

 (参考にカトリック神学会での研究をnoteに上げています)

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