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AI、AGI、ASIの知、…神の知


松田語録:Google I/Oが開催されたけど… (youtube.com)

松田先生が「人間の認知・認識能力を超えたAIの能力」を今回も紹介されました。人間の推論の速度=情報処理速度を遥かに超えて、瞬時に把握できる知力。文章の要約、情報の圧縮、縮約の能力。アライメント問題が騒がれるのは、既にこうした能力の超出が見られ、それが人間の管理・制御の及ばぬところでもっと自動・自律的に超人間自然=人間本性(過去の時代なら「超自然」と言っていたかもしれませんが)へと進展していくことへの不安感と危機感からだと思います。イリア・サツケバーの言う「AGIのデフォルト」でしょうか。

 このことについて、やはり連想させられるのは、トマスの代表作『神学大全Summa Theologiae』の第1部第14問題「神の知Scientia Dei」の論議です。ここで第1項から第16項までの設問があります。

 第1項 神の内に知があるか

 第2項 神はご自身を知性認識するか

 第3項 神はご自身を把握するか

 第4項 神の知性認識は神の実体であるか

 第5項 神はご自身以外のものを知性認識するか

 第6項 神はご自身以外のものについてそれぞれ固有の認識を有しているか

 第7項 神の知は推論的か

 第8項 神の知は諸事物の原因であるか

 第9項 存在しないものについて神の知はあるか

 第10項 悪についての神の知があるか

 第11項 個物についての神の知があるか

 第12項 無限なるものについての神の知があるか

 第13項 未来に起こりうる事柄についての神の知があるか

 第14項 命題によって述べられる事柄についての神の知があるか

 第15項 神の知は可変的であるか

 第16項 神は事物について思弁的知を有するか実践的知を有するか

 以上を眺めてみますと、AIそしてAGIさらにASIとされる知能が、どの様にその「システム」の作用を展開するか、管理制御はできなくとも各項の「フレーム」で扱い得て、「スケーラビリティ」を想定することが可能な気がします。カントールの無限集合論のように、神の知(無限)と人間の知(有限)とのアナロジーが示せるのではないかとも思います。

 これは西垣先生の『AI原論』での指摘が妥当する様な事を言うようですが、決してユダヤ・キリスト教の『聖書』的神の問題ではありません。むしろそれ以前の原始・古代と連続して集合集積してきた人類の思想の内に、「自然発生」してきた「神の知」の論議のまとめであると思います。思想史ではギリシア自然哲学者、ソクラテス、プラトン、アリストテレス等々と続いてきて、ユダヤ教哲学者フィロンやネオ・プラトニズムのプロティノス、キリスト教神学者アウグスティヌス、アラビアの科学者たち、…、云々、と続いたものです。トマスは、この流れの考察と、『聖書』の教え流れを弁証法的止揚に向けた神学者です。「恩寵は自然を排除せず、寧ろ完成するGratia non tollit naturam, sed perficit.」この言葉の通りです。

 ともかく、現代においてこそ、上の「神の知」の論議が活かされるのではないか、と言う気がしてなりません。

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