見出し画像

核兵器はどうしたら廃絶できるのか?

核兵器はどうしたら廃絶できるのか? (youtube.com)

「兵器」と「戦争」とはある意味で「別次元」の問題=情報処理の対象だろうと思います。
 兵器は自然世界の在り方を探求して、その知・情報(scientia/science科学)を得て、応用する(技術)の成果であり、プライマリーにその「使い方」が問題になる事だと思います。「兵器」という成果自体が、科学技術の使い方の問題と思います。
 戦争は、生存・繁栄という生物欲求がプライマリーな動機になると思います。その動機でテリトリー・領土、収穫・収益を争奪し合う。その戦争の仕方において、上の兵器の選択使用が問題となります。この観点では、お金や食料・資源、製品も、「兵器」の一種になります。
 こうしてプライマリーな次元で眺めると、「兵器」の在り方を核兵器などまでにエスカレートさせるのも、「戦争」を実行する「動機」の問題であることになります。
 では戦争を止めるにはどうしたらよいかといえば、人間の「旧い動機」を超克する必要があることになります。

 『旧約』はユダヤ民族・王国の存亡を物語り、まさに、その繁栄を求めた「教え」です。これに対して『新約」は、その古い形骸化した「教え」「契約」を超克しようとしています。
 その『新約』の教えは、先ずは「赦し」から始まります。『旧約』では「正義」も民族主義の立場、民族自己中心に「神の義」は説かれます。そうした状況を打開するには、「右の頬を打たれたら左の頬をも差し出す」くらいの、相手を赦すことから始めるしかない、としています。相手が感情的に「正義」をかざして石を投げようとしたら、「自分の内に罪がないと思うなら、その石を投げよ」と言ってしゃがみ込み、地面に何かを描きながら気勢をそいで鎮静化を待ちます。それでも結局、民衆の理解の無さ、自己中心性の強さによって、「十字架につけられ」る事態になったと物語ります。  『新約』が『旧約』を超克しているのは、ここで物語が終っていないことです。既に物語上では、「天の国」「復活」というテーマを幾つか掲げています。
 「復活においては、娶りもせず嫁ぎもせず、天使の様になるのだ」と教え、エマオへの道で復活のイエスに会った弟子達がその姿を見ただけではイエスと分らず、晩餐で気付いたと物語っています。現在のミサ聖餐式においても、キリストの体はパンの象徴で表現されますが、それを分け与えるとは御言葉の晩餐・祭儀において、御子が御言葉(ロゴス)であり、そのコミュニケーション(伝達)が為されることを示しました。そしてその共同体が家族(血の盃をまわす)であるとしています。
 さらに、ブドウ畑での労働の譬えでは、人間の労働に対して主人は労働対価としての賃金分配ではなく、一人一人の生活費を一日1デナリオンを渡すとして、現在のベーシックインカムを表現しています。そもそも「野の百合、空の鳥は紡ぎもせず働きもせず、明日を煩わず明日(自然)が考えるに任せる」とし、『旧約』のユダヤ繁栄の象徴ソロモン王との対比さえしています。生産を資本主義か共産主義か、分配を自由主義か社会主義かで争うこと自体、「明日」の事の理解がないに過ぎません。
 ここで明日=自然と表現された、全ての現実態エネルゲイア・エネルギーは即ち、古来、人々が人間指導者の呼び名である「神・守・上・紙(詔)・髪(神通力が宿る=エジプトの香油を注ぐ儀式から発生した冠の権威であり、力を表現。大相撲のびん付け油で結った大銀杏。)」をそれにあてがった「大いなるもの」であり、生産の力はそれが根底にあり、分配もそれに従うべきである、としています。
 「衣食足りて礼節を知る」、「理性的動物である」人間は、動物である「旧い動機」を超克して、「天使の様に」理性的に、復活の時にはなり、天の国の在り方を受継ぐということでしょうか・・・。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?