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竜とそばかすの姫の?を考える 鈴とベルにとっての歌

 連載みたいなタイトルしてますが各記事ほぼほぼ独立しているのでつまみ食いにどうぞ。
 この記事は「竜とそばかすの姫」のネタバレと考察と空想で構成されています。まだ観てない方は読まない方がいいよ!
 それと作品を全力で肯定的に観ているので批評とか求めている場合は「思ってたんと違う!」ってなるよ!(肯定する理由はこちらの記事に書いているのでよければぜひ)

 まずは見出しでのネタバレ防止としての作品紹介。

 「竜とそばかすの姫」は現在上映中の細田守監督の最新作。現実とインターネット上の仮想世界<U>を舞台に、とある理由で歌えなくなった女子高生・鈴(ベル)が巻き起こる数々の出来事のなか葛藤し、それでも未来へ進んでいこうとする物語。
 あらすじ紹介とか下手くそなので詳細は下記参照。

 さて。ここから先が本題、ネタバレと考察と空想を展開します。あ、これは私の見解なので他の方や実際とは相違があるかもしれません。その点はご容赦を。

 今回のテーマはずばり「なぜは鈴は歌えなくなってしまったのか」です。

なぜ鈴は歌えなくなってしまったのか

 鈴が歌い始めたのはきっと、合唱隊に参加していた母親の影響でしょう(母親が合唱隊に参加していたのは合唱隊の人たちと写っている写真が示唆しています。)
 小さいころからずっと母親と一緒に歌っていて、おそらく3歳くらいのころにはキーボードアプリを与えられ、歌を作るようにもなっていった。きっと作った歌も母親と一緒に歌っていたと思います。
 そう考えると歌は鈴と母親の絆の証だと言えるでしょう。

 ターニングポイントは鈴が中学生の頃ではないかと考えています。鈴の母親は、鈴が6歳のときに亡くなりました。ですが、そこからの数年間の描写は劇中にはありません。回想は母親の亡くなったところから鈴が中学生になった頃まで飛びます。

 中学生のシーンでは、鈴は詞や曲を書きなぐりながら自問自答しています。「母さんは、なぜ私を置いて川に入ったのか?」「なぜ私と生きるよりも、名前も知らないその子を助けることを選んだのか?」「なぜ私は、ひとりぼっちなのか?」

 自問自答を繰り返しても母親はもうおらず、答えはわからない。それどころか、知らず知らずのうちに自分の屈折した思い込みが真実とは違うところに結論を着地させてしまう。結果。

 「母さんは私を愛していなかったのではないか」

 そこに行きついてしまったのではないでしょうか。それは可能性でしかないとはいえ、決して違うと言い切れるものでもありません。

 大好きだった母親と歌を歌った記憶。母親が自分を愛してくれていなかった可能性。ねぇ、母さんは嫌々私と歌を作っていたの?私は楽しかったよ?母さんは違ったの?
 信じていたものが崩れていく感覚、愛していたものが愛されていなかった可能性。そういったものをもったまま、歌うことができるのか。

 絆の証だと思っていた歌が実はそうではなかったんじゃないか。そんな風に感じてしまうようになったら、きっともう歌うことはできないと思うのです。無理に歌おうとした結果心に負荷がかかりすぎて吐いてしまう、そんなこともありうるように思えます。

 これが、あくまで私の考える、鈴が歌えなくなった理由です。こんなわだかまりを持っていたら、歌えないどころか、生きる意味すら見えなくなりそうです。世界がモノトーンに見える、なんて表現が似合う状態かもしれません。

なぜベルは歌えたのか

 歌うことができなくなっていた鈴はベルとなって<U>の世界では歌うことができるようになりました。物語はここから大きく動き出しますが、なぜベルとしての鈴は歌えたのか。

 これはそんなに難しいことではなくて、ただ「<U>はもうひとつの現実」であり「<As>はもうひとりあなた」だからでしょう。鈴の<As>であるベルは鈴であって鈴ではない。だから鈴が歌えない理由はベルの歌えない理由にはなりえない。

「現実はやり直せない。でも<U>ならやり直せる。」

 鈴もそれを願って<U>の世界に踏み出したのだと思います。ベルであれば歌えるということ、それは歌が大好きな鈴自身にとってどれだけ救いになったことでしょう。


 さて、今回は「鈴が歌えなくなった理由」について考えてみました。物語の終盤ではそんな鈴が素顔で歌い、その先に何かを悟るシーンがありますが、そこで何を悟ったのかは「竜とそばかすの姫の?を考える その3」で考えてみたいと思います。

(1,721字 執筆時間2時間くらい)

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