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私と私の〝呪い〟の話


思っていることを可能な限りぶちまけて記事にしたら少しだけ気が楽になりました。


まだ感情が死んでいるけど。

上手く小出しに吐き出さないとダメだなと思いつつ永遠にできないんたろうなとかも思う。


腐っててもどうせ何も変わらないので、どうにかなるまでとりあえずnoteの方を書いていくことにする。


暫く鬱とも愚痴ともつかない記事が続くと思うので、感受性の強い方は見ない方が吉だ。









ひとまず何にも手につかないので、昔の話をしよう。


前回の愚痴で感想欲しがりを披露していたが、そもそも私がどうしてそうなったか。

そしてどうしてこんなになるまで誰にも助けを求めることが出来なかったのか。


これは私にかかった〝呪い〟の話だ。


これから書くことは今までほぼ人に話したことは無かったけど、今回本当にスランプに死んで欲しいと思っているので、これを機会に書き記しておこうと思う。

大体あとで黒歴史になるのだけれど、これも、間違いなく私だ。

あとついでに少しくらい昇華してくれれば良いと思う。




さて、付き合いがそれなりにある方は知っていると思うが、私は絵も描く。

どちらかといえば今は描いていた、が正しいけど。


以前Twitterで私が文字書きとして書き始めたのは小学生の頃だとツイートしたが、絵を描き始めたのはそれよりももっと前、幼稚園とかそのくらい。


小学生頃の話だ。

いつ頃かは正確に覚えていないが、妹と絵を描いて遊んでいたことがあって、妹と二人で描き上がった絵を姉に見せに行った。

経緯は覚えていないが、確かその時「どっちが上手か」といったことを聞いたのだったと思う。

「スイの方が上手。でももう少ししたら妹の方が上手くなりそう」

正確に一字一句覚えている訳では無いが、そんなニュアンスのことを言われた。

その時の姉に悪気は一切なかったと思う。

でも、その時私は、間違いなく否定された。

当時少しへそを曲げたくらいだったが、悪意のないその言葉は間違いなく私の深いところに刺さった。


その後そんな事を言われたことは忘れていた。

絵を描くのが好きで、絵を勉強したいとそう思うようになった。
中学三年生で、進路を決める頃の事だ。

高校は美術科のあるところに行きたい。
両親にそう話した。でも行けなかった。

行きたかったところは私立だったから、今なら両親の気持ちも分からないでもない。

両親に学費を払ってもらう手前、私は食い下がることも出来ずに別の公立高校に進学した。


高校時代に私はまた別の問題を抱えていて、不登校だったり保健室登校だったりした。

親に迷惑をかけているな、と思いつつ、自分ではどうする事も出来なかった。
それでも私は何とか高校を卒業した。


問題だったのはその後だ。

今度こそと私が絵の方の専門学校へ進学したと同時に、妹が高校に進学した。

その進学先が、私が行きたかった高校の美術科だった。


元々親は妹に甘いところがあるとは思っていたが、私には良いと言ってくれなかったのに妹はいいのか、とそう思った。

その時私は何も言えなかった。
高校時代に迷惑をかけていることを分かっていたから。


大昔に知らず刺さったものが、より深く刺さって抜けなくなった。


それでも進学した専門学校は楽しかった。

初めての一人暮らしで、それまでなら絶対関わらなかったタイプの友達もできた。

ただ同時に自分には絵で食べていくような技量はないと思い知った。

落ち込む度に、過去にあった何気ない出来事が思い起こされるようになる。


同時に「私はいつも姉や妹と比較されていた」とそんな事にはたと気付いてしまった。

それこそいつぞやの姉のように、悪気はなかったのだと思う。
比較した、とそういう意識すら無かったと思う。

ただ、ひとつずつ思い返せば、高校時代にメンタルが死にかけた時からずっと不審に思っていたことが頭の中で明確に形になっていった。


高校時代からメンタルの弱さを引き摺っていた私が一気に落ちていくのはあっという間だった。


専門学校卒業後、二年ほど丸々ニートで、まともに社会に出られるまでのリハビリでプラス二年かかった。

とにかく何もする気になれなくて、高校時代からの付き合いの精神科に通いながら、ただただ時間を消費した。



この間に、私は絵を描かなくなった。

私が描いたって仕方がない。


小さな、悪意の無い否定の積み重ねで、私の自己肯定感は死んだのだ。




今思えば。

私はただ純粋に、褒められたかっただけなのだ。

ただ「スイはすごいね」と一言そう言ってくれるだけでよかった。


それだけで良かったのに。



今ちゃんと大人になってから思い返せば、私自身もっと努力出来ることもあったと思う。



ただ自覚していないながらも、「私は肯定などされない」と薄々肌で感じていた私では、自分の思っていることを家族や友達に話すなんて出来る訳がなかった。

否定されることが恐ろしくてたまらないからだ。

だから私は私のことを他人に話せない。


そして《居場所》が欲しくて、自分を肯定して欲しくて感想を求めてしまう。




いつぞやの記事で人生が変わった出来事があった、とそう書いた。

そこで多少自己肯定感は取り戻して、こうして不特定多数の目に触れる場所で自分のことを少しは話せるようにはなった。

それでも人生の大半で悪意の無い否定を浴び続けた私の〝呪い〟はずっと燻り続けている。






メンタルが落ちると大体過去のことを考える。

何故そうなるか自分でもよく分かっていないが、多分自分の輪郭が不明瞭になっているからだと思う。

自身のなりたちを振り返って、自身の輪郭がどんなものが再認識する。



ちなみに少し調べたら、メンタルの回復に「自己を振り返る」という方法がちゃんとあるらしい。


長い間一人でいて自分でその方法を見つけた私は天才だと思う、と自分だけでも自分を肯定しておいてやろうと思う。