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感情フルコース 〜末代まで祟る気持ち添え〜

支離滅裂なので読む価値はない、とだけ先に断っておく。

いつもの毒の時間。





ゴタゴタが続いている。

といってもそのゴタゴタは"表向き"収束していて、実際にゴタゴタしているのはその場に取り残された僕の心だ。


ゴタゴタについては以下を見て欲しい。具合悪くなるけど。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=15039552




そんな訳で、暫くTwitterなんかを見られていない。

忙しいから見られていない、というよりは、〝人の生の声〟というものに耐えうる精神状態ではなく、故意に見ないようにしている。


Twitterを離れる少し前に一部の人にはちょっと零していたが、ここ最近ずっと、急に《文字》がわからなくなるのだ。

零していた頃は仕事中に少しくらいだけの話だったが、最近はプライベート時間の大半でそういう現象が起きている。

なんというか説明がしづらいが、例えば「今日はランチに行ってきた」というツイートがあるとする。

これが急に識字出来なくなる。

そこに文字がある、ということは分かる。
分かるが「今日はランチに行ってきた」という意味として理解出来なくなる。

この現象の発生条件というのが、読もうとする文章の内容というのは関係なくて、ただひたすら無差別且つ突発的に発生する。
自分で書いたそれの意味すら分からなくなる。

暫くは「疲れてるんだろうな」と思っていた。
ゴタゴタに加えて仕事もえらく忙しかった。

ただ何かおかしいなと思ったのは仕事中よりプライベート時間に切り替わったその時の方がより発生頻度が高かったというところだ。

ああ…、と僕はすぐに気づいてしまった。

《文字》というものに拒否反応を起こすようになってしまったのか、と。


悲しい、のかは分からなかった。

もうそういうことに対する感覚が麻痺しきっていて、どういう感情を持ち出せばいいのかよく分からない。

今は漠然と何かを書きたいような変な気持ちだけがあることに吐き気を覚えている。


こんなになってまでまだ文字を書きたいというそんな気持ちは腹の底に澱のように沈んでいて、自身の気持ち悪い執着心に笑えてくる。



なんで生きてるんだろうな、と最近そう考える。

五体満足でいつでも出来るはずの文字を書くという自己表現が出来ない。

自己表現出来なくなって、信号待ちの度に車が行き交う交差点に引き寄せられるような、そんな感覚を覚えている。













……なんてしんどい身体を本当に引き摺りながら暗いことをずっと考えている訳だが。


同時に僕の過激派の部分が大変、怒りのフルコース状態になっている。

僕は非っっっ常に根に持つし、相手が死ぬまで呪い続けるタイプだ。

よくよく考えなくても何故何一つ悪くない僕がここまで病んでなきゃいけないのか。


これまで僕自身が楽しみたいばかりに必死に土地、いや沼を開拓してきた訳だが、開拓者にナイフ向けておいて諦めるだろう、とか思ってるのかと思うとちょっと可笑しくなってきた。考えがだいぶカワイイな。

日常生活に影響出てるから慰謝料でも請求すればいいんだろうか。
弁護士でも探してみようか、と今本気で考えてGoogleで近隣の弁護士事務所を検索した。意外と近隣に弁護士おるな。






そうだなあ、もう少し僕の話をしよう。


僕は「僕自身の為に生きられない」人間だ。

他人が絡むと自分のことは投げ出して他人を優先する。

今人に対して優しく出来るというのはここから来ているから悪いことばかりではないけど、かなり生きづらい人間である自覚はある。

助けを求めるの下手くそ芸人。

そもそも生きること自体、本当は向いてないんだと思う。

今まで自分のことを投げ出していたから、気が狂うくらい熱中出来ることがなかった。


自分が、自分自身の為に生きられるようになったのは今の場所に来てからだ。

ちゃんと社会に出るようになって自立出来るようになったことも大きいと思うけど、ちょっと自分本位過ぎないか?というくらい自由に生きられるようになったと思う。

自由には責任も伴うけれど、今までの自分を投げ出すような窮屈な生き方に比べたら責任なんて大したことでは無い。


僕は今、僕自身の為に生きようともがいている。







今、自分の為だけにひとりきりで旅に出ている。

誰にも行先など告げてない。

行先なんて決めてないからね。


やることも決めていないから、時々文字の意味が分からなくなりながら、こんなしょーーーーもない文章を馬鹿みたいな時間をかけて書いている。



大丈夫、ちゃんと歩けている。




そうだな、着替えなんて持ってきてないからこの後は素敵な服と下着を買いに行こうと思う。

〝僕〟は喜んでくれるだろうか。