戸定梨香の動画削除に対する意見


「動くと胸が揺れる、スカートの丈が短い」VTuber戸定梨香の交通安全啓発動画に全国フェミニスト議員連盟が抗議して女性蔑視で削除

という記事が現在(2021.09.11)トレンド入りしている。

これには多くのコメントが付き、タリバンに絡めたものや表現の自由の弾圧であるなどの極端な意見も散見される。

今から書くのは、このような「可愛らしく、肌の露出した幼い女の子のキャラクター」をメインとした広告を公共の場で打つことの是非を、一介の女子大生が考える極めて個人的な記事である。

当然、私の個人的な経験が大きく出ており、理解できないこと、納得しかねることが出てくる人がいるだろう。しかし、世の中にはこのような意見をもつ人間もいるのだという一つのサンプルとして最後まで読んでいただけると幸いである。



まず、男性の中には女性の胸が揺れる表現に対してプラスの印象を持っている者が多いと考えるが、女性はそうでもない。むしろ、マイナスのイメージを持っている者も多いと思う。

なぜなら、現実の女性の胸はほぼほぼ揺れないからだ。いや、何も付けていない状態ではもちろん揺れる。あれは脂肪の塊であるので、二段腹が揺れるように乳房も揺れる。しかし、これがまた痛いのだ。乳房の根本のクーパー靭帯はは小さく、その一度切れたら修復不能な靭帯一本で胸の総重量を吊り下げることになる。例えるなら、よく二次元キャラで見られるような、パンと張ったスイカのような見事な乳房は、小指一本でボーリング玉を吊り下げているようなものである。そのまま激しく動かせば、確実に小指は骨折する。

したがって、女性の多くはブラジャーなどで乳房を支えて、揺れようもないほど固定している。あれは乳首を隠すためのものだけではないのだ。だからこそ、現実の、公共の場に出る女性の胸はあからさまに揺れることはない。そして、これらのことより、揺れてる胸を見ると、私はなんだか可哀想になったり、胸の根本が痛くなる気がしたりする。

だから、このような動きのある場面で非現実的に胸が揺れるのに、胸の大きいこと、性の対象として注視させる効果は少なからずあると考える。


また異性から性的に見られることがプラスにしかならない男性にとっては、胸が大きいというセックスアピールになり得る特徴を持ったり、肌が見える服を着て異性にとって魅力的になることは女性にとってもプラスになると考えるのが自然であるかもしれない。私は女であるので、性にまつわることを男性から赤裸々に語られることはないが、言葉の端々からそのような思想が伺える人には何人か出会ったことがある。

一方、女性にとって性的に見られるとは、結構危険なことである。もちろん、不特定多数の他者から性的な目線で見られることが嬉しい女性だっているかもしれないし、その思想は決して否定しない。けれども、私の交友関係にある女性達は、性的に見られるのが怖い、という人も少なくない。


その理由の一つに、男性からの性的な接触は女性にとって容易に、抵抗不可能な加害となる可能性があるからだ。そもそも、性行為からして内臓に自身ではコントロールできないものを突き入れられるのである。胃カメラや大腸カメラを信頼と知識のある専門家にやってもらいたいのと同じで、内臓を委ねるのだから性行為だってちゃんと知識があり、信頼を育んできたパートナーと行いたい。


また他にも、自身のアイデンティティが外見はないか、外見の他にもアイデンティティが存在する、という自認があるというのも理由になりうる。皆さんもご存知の通り、女性も男性もその他の人間も、その性であるよりも先に人間であり、人間には自身の意志や人格というものが存在する。容姿や性が大切でないとは言わないが、自身のアイデンティティはそこだけではなく、生き方や考え方、経験にあるという人間だって少なくない。それなのに他者に容姿や性という土俵に引き摺り出され、望んでもいないのに自身のアイデンティティを総無視してジャッジされるのは結構しんどい。

例えば、貴方が親から腕時計を譲られたとして、毎日付けていたら、いきなり腕時計同好会という関わったことのない人達に囲まれ批評されたり、貴方のことを評価して大切にしてくれてると思った人が時計だけが目当てだったりという日常に巻き込まれたら、どう思うだろう。自身の人格等が腕時計の付属品に成り下がったことに傷つくし、気に入っていたとしてもその腕時計をつけることを断念するかも知れない。

私にとって、現在の社会における性別や性とはこの腕時計のようなものだ。



長くなったが、このような考えをベースとして、私は「可愛らしく、肌の露出した幼い女の子のキャラクター」を、多くの人が目にする広告のメインキャラクターとして打ち出すのに反対である。

しかし、このようなキャラクターが全て否定されるべきとも考えていない。例えば男性向けの漫画やゲームに登場したり、You Tubeなどの動画に出てくるのは全然自由だと思っているし、それに対して意見する立場に私はいない。

ではなぜ、公共の場ではいけないのか。これには様々な意見がある。私は、性的な意図のない交通安全啓蒙動画で、意味なく性を感じさせる存在が登場することが「容姿によってジャッジされたり、性的で有る無しで判断される空気が、社会により許容される空気を生み出すから」だと思っている。

もちろん、すべての人がそうだとは思っていない。けれども、まだ物事の分別がつかない子供や、様々な意見を持った人々の誰もが見れる場所に性を感じさせるものがあり、それを批評できる立場にそれぞれの人間が置かれるというのはやはり問題になると思う。

これはキャラクターが男性であっても同じだ。例えば、公共の場でメインキャラクターとなったイケメンの股間が一時期流行ったマリモッコリのようにもっこりとした陰影が非現実的についていたらギョッとするし、どのような意図で広告のメインキャラクターになったのかわからない。けれども、例えばそのキャラクターが勃起促進剤の広告として男性誌の広告に出てくるのはありなのではないだろうかという話だ。



現実世界には胸が大きい人や肌を露出した服装をしている人がたくさんいて、この動画を否定することはそれらの人を否定することに繋がる、という意見も見た。しかし、これらを意図的に性的なものとして発信することを否定するのは、逆に彼女たちのそのような特性が、性的なアイコンとして見られ、消費されることを防ぎ、自由な生き方を支えることに繋がると信じている。
私の友人にHカップの子がいる。彼女は内気な子で、胸を性的に揶揄されて泣いていたことを鮮明に覚えている。就活では、大きな胸をしていると能力が無い、女を売りにしていると思われるからと、さらしで潰して、呼吸が苦しくなりながら就職活動をしていた。
私は、現在も社会にたくさんいる彼女のような人間に泣いてほしくないし、また多くの人が無意識のうちに彼女のような人間を傷つける側に回るようなことになってほしくもない。だから、慣れない筆を執ってこのような文章を書いた。

以上でこの文章は終わりである。どのような意見を貴方が持ったとしても、まず最後まで読んでくれた貴方にお礼を言いたい。ありがとう。
そして、もしこの文章に対して何かの意見を持ったのなら、それを是非教えてほしい。最初にも書いたようにこれは一介の女子大学生の個人的な意見に過ぎず、貴方の意見によって新たな見識が得られるのは、私にとってこの上ない喜びである。よろしくお願いいたします。

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