何故この分野を選んだか。

僕はいま、鳥獣被害対策を大学院で専攻している。なぜこの分野を選んだのか。ある本*を読んでいて、ふと思い出したので書こうと思う。

大学2年生のとき自分が何に興味があって、何について学んでいくのかまだ分かっていなかった。同時に、たくさんの学生の中で自分が「何者であるのか」それを表すものが無いことにコンプレックスを感じていた。

だから僕はその2つを満たすものを探した。それは「自分が興味のあるもの」かつ、「社会的に価値のあるもの」の両方を満たすものである必要があり、いくらかの体験や考慮を重ね、見出したものが「鳥獣被害対策」であった。

抽出過ぎず、かつ具体過ぎない。難しすぎず、かつ簡単過ぎない。

鳥獣被害対策は僕にとってそのようなテーマであり、学生時代を賭けるに申し分ないテーマだと感じた。

大学4年生になる頃には、鳥獣被害対策は僕のアイデンティティとなっており、そして将来の仕事にしたいと思うまでになっていた。


さて、ここからは少し余談になるが、同じテーマに対して、ずっと熱意を持って取り組むことの大変さについて話したい。

僕自身、大学のとき、そしていまも、そのモチベがフッと何処かに行ってしまうことがあり、何かにひたすら取り組んでいる人の凄さを体感している。

人間とは不思議なもので、いくら熱い思いを持ち、大きな目標に向かって取り組んでいても、ずっと続けている中で、その意欲・熱意がなくなるように感じることが多々あるのだ。
「何故自分はいまこんなことをしているのだろうか」
そういう問いが浮かんだことは無数にある。僕自身が飽きやすい性格なのか、それともみんなそうなのかは分からないが、その度に「もっと他のテーマの方が良いのではないか」と目移りしてしまいそうになる時があった。

ただ、結局はテーマを変えることはなく、今も鳥獣被害対策について学んでいるわけだが、それに関しては良かったと思っている

人間、今自分がやっていないことが面白く見えてしまうと思うのだ。。隣の畑は青いというものだ。確かに自分にもっと合ったテーマは何処かに存在したのかも知れない。しかしそれは、他のテーマの相対的に比べたときに、であって、めちゃめちゃ自分に向いてる、そのテーマなら自分はずっと熱意を持って取り組めるなんてものは無いのではないか。
どんなテーマを選ぼうと、それを貫けるか貫けないかは、自分の意志やひたむきさなど、自分自身の努力が重要であるのではないかと思う。仮に僕がいま流行りのITや、何となく楽しそうだからと国際関係に行っていたとしても、やはり違う分野に目移りしそうにはなるのだと思う。

自分が何について取り組むのか、そのテーマを決めることも大変だった。自分が一体何をしたいのか。高校生までほとんど自分の頭で考えてきていなかったので尚更だった。
だがテーマを決めたあと、それを継続するのもまた難しいと分かった。何かをやり抜く。それは、自制心と熱意が必要なのだ。


*生きる意味  上田紀行

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