見出し画像

開かれた夏の扉と打ちあがるロケットたちと27.3度のほぼブラジルの話

遥かなる富士山のお膝元。太陽光の下の遥かなるステージ。
TAKUYAさん渾身の快作青春ゾンビィィズから今年の夏が始まった。ホーンセクションが盛り上げる煌びやかな導入にはじまり、ミドルテンポをベースとした鼓動を突き動かすグルーヴ。歌詞にはエビ中の歴史がそこかしこに溶け込んで隠れているというギミック。快作だとしか言いようがない。夏だ。夏にピッタリだ。賑やかでハッピーな音の波によって、いまここに夏の扉が開かれたのだ。ぼくらがこの扉を閉めるまで、きっとこの夏は終わらない。そんな錯覚まで引き起こさせてくれる。

山梨県南都留郡山中湖村。山中湖交流プラザ・シアターひびき。約束の地で開かれたそれは、思えばとても重い扉だった。何故なら開くまで3年の時を要したのだから。

横一列に並べられたウォーターキャノンが、軽快な破裂音を伴って大量の水を宇宙へ向け放出させてゆく。打ちあがる水の機体のロケットたちが、何発も何発も青空と低い雲の中に吸い込まれてゆく。彼らは圏界面でひとしきり無重力に揺られ踊ったあと、地表面にバララララと涼しい空気を引きずり下ろしつつ戻ってくる。迎えるファミリーたちは、笑顔と一種の諦観の入り混じったような表情で、荷物を守りつつ全身で彼らを受け容れる。ステージには大音量で音楽が流れ、花道ではメンバーが走り回っている。
ずっと出会いたかった風景が、目の前にそのまんま広がっている。


まやまさんは相変わらずの佇まい。キレのある動きと目線で会場を盛り上げている。安本さんは主にステージから全体を見守る役割。明るい髪色と優しい声質が温かい空気感を押し拡げる。同じく柏木さんもステージ組。美しく響くいつもの歌声は、遠く離れたリラックスエリアの隅々にまでファミえん感を届けていたことだろう。星名さんは夏の太陽の下できょうもキラキラしている。ステージの上の彼女は、きっと太陽なんて軽く凌駕するくらいに輝いている。そんな先輩に決して負けないのが桜木さん。0cmのウエストをひっさげて、全てのブロックに笑顔とレスを届ける配達人だ。対する小久保柚乃は、相変わらずのマイペース。何をしだすかわからない魅力に溢れ、奪われた視線を取り戻すのは困難を極める。アタマにふたつのおダンゴをこさえたのは風見さん。このふたつのおダンゴの中にはキュートという言葉の全ての要素が詰まっており、数多くのファミリーたちが迷い込んでとうとう戻ってこれなくなってしまった。中山さんは飼っているイヌがかわいい。

3年前の風景と、そしてそれ以前からずっと連なって来た風景と、今年もまた一緒なのだ。ここには悠久の夏があるのだ。自分のいる場所に水が来たのかどうかとか、そんな些末な問題なんて一旦ヨコに置いておけばいい。開いた扉のこちら側、気付いたら俺はなんとなく夏だった風景。軋轢は加速してゆく。記憶や妄想が夢のような現実に変わる。

おばけ繋がりなのか2曲目はオーマイゴースト。新旧バランスをとるかのようにイヤフォンライオット。温まったフリコピ熱を爆発させる仮契約のシンデレラ。自己紹介から有無を言わさぬ完璧な前フリによって始まる熟女になっても。事前に仲間と予想したとおりYASU-BOYSとCOCO-BOYSとの掛け合いとなった。とてもカッコイイ。


そして。
ヒップホップ繋がりということか、チェケラッチョ!のコ気味良いちょっとしたシャウトと共にほぼブラジルのイントロが響いてくる。2019年のシアターひびきに置き忘れられたままに、きょうまで一度もPA卓から流されることのなかった一曲。ぼくはこの曲を聴きにやってきたのだ。

暑苦しいスクラッチノイズ風味のバックトラックに乗せ、歌われてゆくのはただ暑いだけでなにも起きることのない、イカンともし難い夏の日々のいろいろ。
そう。なにごとも起きなかったし、なにごとも起こすことが出来なかった。何故か鳴らないアラーム。下がったままの踏み切りの遮断機。これはぼくらの生きてきたリアル学生時代の話であって、それ以降のぼくらの話であって、ぼくらの過ごしたこの不毛なこの3年間のことなのだ。
前に進もうにもいかんともし難いだけで過ぎ去っていった時間。それでいてガツンとチョークが飛んでくるようなショッキングな出来事だけは、なぜだか容赦なくぼくらを何度も襲ってきた。
ぼくは過去の自分と向かい合うために、この曲を求めて遥か山あいの湖畔までやってきたのだ。


意味なんかないけど、大声で歌えばハレルヤ────
届いたり途切れたりする暑い日差しの中、耳の奥には実際には聴こえないはずの「あーやか!あーやか!」というファミリーの大きなコールが響いている気がしてならない。気象庁ホームページによると、この日の山中湖の最高気温は27.3度。だいぶ遠慮がちに拡がったブラジルの大地がここにある。あっちぃ。

思えば、リアル小中学生だった頃の自分。
冷房のない教室の中でわかんない英文も中途半端な数式も作者の気持ちもギブして、教室の黒板の上にある時計ばっかり見ていた。固い椅子と防災ズキンの上に腰かけて過ごした体感数時間以上もの苦行の刻。教室の時計はいつもその永遠を、ものの10分ほどにしか換算してくれなかった。何度見上げても進まない長針短針。終業のチャイムまであと30分。ここは精神と時の狭間。あと何時間、この暑さに耐えねばならないのだろう。ハートウォーミング、お呼びじゃない。

友達なんか決して多い方ではなかったけれど、それでも学校にいればそれなりに自分の居場所はあった。自分が何者なのかなんて考えたことはなかったけれど、それなりに楽しかった。下駄箱の奥やロッカーの荷物やカバンのポッケや連絡帳の最後のページに、大切なメモライズなどをしまい込んでいたような気がする。けれどそんなもんは帰りのチャイムと共に、一瞬でどうでもよくなって。放課後は照り付ける日差しの中でとろけながら野球をやったり、テレビゲームをしに友達の家に向かったり。そんな小さな幸せを得るために、とにかくブラジルのような暑さの中で、ただ一生懸命にただただ時間を浪費していた毎日のうっすい記憶の積み重ねがそこにあるのだ。


意味なんてないけど、それでもきょうも走るよ────
届いたり途切れたりする暑い日差しの中、耳の奥では実際には聴こえないはずの「ひーなた!ひーなた!」というファミリーの大きなコールが響いている気がしてならない。

気付けば目の前の花道の中央で、まやまさんが優しく客席を見て微笑んでいる。ステージのセンターで、安本さんが滑らかで甘い歌声を会場に響かせている。その隣で柏木さんが、メンバーの方を指さして笑っている。花道の星名さんが、絶えず近くと遠くのファミリーに手を振って歩いている。いつもパッチリした桜木さんの大きな目が、にっこり細くとじられている。おどけたフォームで走る小久保さんが、なぜだかとてもかわいく見える。ニコニコの笑顔で腕を大きく拡げた風見さんが、今まさに会場のすべてを抱きしめようとしている。中山さんは飼っているイヌがかわいい。

ずーーーーーっと変わらない風景が、またことしも新しく上書きされた。白日夢のような景色の中で味わうこの曲が、涙が出てくるほどに大好きだ。
今年は色々どうなることかと思ったが、3年ぶりのファミえん、とても楽しかった。
実はとても忙しかったのだけれど、やっぱり来てよかった。わかっていたことだけれど、間違いなんてひとつもなかった。

ここで出逢った物事すべてを書き留めるなんて、ぼくにはそれは重すぎてできない芸当だし、きっとそこまで大きな意味は為さないだろう。だからほぼブラジルを聴いて再会した気持ちの整理だけをして、ことしのファミえんの感想とさせて頂こうと思います。
重かった夏の扉が開いて、その向こうには見たかった風景があった。ぼくはそこに踏み込んだ。それだけで充分だった。ありがたいことに、12月には映像作品となってこの記憶がパッケージングされることにもなっている。本当にありがたいことだ。


といったあたりで、そろそろ寝ますです。
また来年も良い風景に出会えますように。
おやすみなさいグー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?