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アフガニスタンのこれまでと今から

2021年08月15日アフガニスタン首都カーブルを反政府武装勢力タリバンが占領、ガニ大統領はタリバンによる政権掌握を認めた

アフガニスタンの情勢とその原因を簡単に確認する

根本的な原因は1978年までさかのぼる

アフガン侵攻


1978年にイスラームのアフガニスタンで、軍事クーデターにより共産党政権が樹立された
宗教弾圧を含む急進的な改革に対し、反発が起き情勢が不安定化した
アフガニスタン政府は、ソ連に支援を求めた
1979年ソ連がアフガニスタンへ軍事介入(アフガン侵攻)
アフガニスタンの反乱が中央アジアの国々にイスラーム原理主義運動が広がることを恐れたと考えられている
反発するムジャーヒディーン(イスラーム教徒の戦士)が各国に支援を要請
イスラム諸国のみならずソ連の拡大を阻止したいアメリカなども支援した
この時、ビン・ラディン等も参戦していた

1989年ソ連が撤退
それに伴い、各国も撤退した
しかし、戦場となったアフガニスタンは150万人以上死亡しており、生活基盤は壊滅していた
さらに、各国の支援や戦闘により大量の兵器が残されておりそれを装備したムジャーヒディーン各派が実権を握るといった有様だった

ソ連撤退後もムジャーヒディーン各派が実効支配しており、ソ連の撃退だけを目的とし治安維持などを行わない欧米諸国にビン・ラディンは敵意を持ち始める


タリバン出現

ムジャーヒディーン各派が群雄割拠する状況に対し、タリバンが1994年に出現する
当初は、ムジャーヒディーン各派を排除し治安の維持や秩序の回復に尽力し期待され、パキスタンの支持を得て勢力を拡大していった
アフガニスタンの安定化はアメリカも望んでおり、タリバンに対し期待を寄せていた

しかし、次第にイスラム教の戒律(実際には少し異なる)を厳格に適用し失望されていく。

1996年あたりからタリバンによる人権侵害(特に女性に対する)が問題視され始める
アルカイーダの受け入れから孤立が進み、タリバン政権を承認していたサウジアラビアも1998年には外交関係を停止

1999年以降アメリカ大使館爆破事件などを行ったとされるビン・ラディンら幹部の引き渡しを拒否したことから経済制裁を受ける
2000年には米艦コール襲撃事件をアルカイーダが行いさらに経済制裁が強化される
2001年にはバーミヤーンにある石窟の仏陀の像を爆破しさらに国際的な非難を浴びる
この時、イスラム諸国からも非難を受け、孤立を深めた

2001年9月11日アメリカ同時多発テロが発生
容疑者としてアルカイーダ関係者の引き渡しを要求したが、タリバン政権は拒否
アメリカとNATOが集団的自衛権の発動を宣言
再度引き渡しを要求したが、タリバン政権は拒否
アメリカはイギリス・フランス・カナダ・ドイツなどとアフガニスタンに攻撃を開始した
各国の支援を受けた北部同盟(反タリバーン政権)が11月までに首都カーブルを制圧した

タリバン政権の崩壊

これ以降の平和維持は国連に引き継がれた
しかし、予算が少なく地域への援助は不十分であった
また、学校の建設なども行われたが西洋的な価値観の押し付けとして反発も生んだ
治安維持が地方まで及ばないため、潜伏したタリバンによる脅迫や懐柔によりある程度支持を受けているとも言われている

2011年ビン・ラディンがアメリカの特殊部隊により殺害された。アメリカ軍の撤退に間に合わせるためだったと思われる。しかし、アフガニスタン政府の腐敗が激しく汚職などによりアフガニスタン軍の改善などは進まなかった

2015年にはタリバンがクンドゥーズを占領した
これを受けて、アメリカ軍の完全撤退は延期された
小競り合いが続いていたが2020年アメリカとタリバンの間で和平合意が成立した
「2021年4月末までにNATO軍と共に完全撤退すること、タリバンがアルカーイダなどを取り締まりアフガニスタンをテロの拠点にしないこと」などが盛り込まれた

しかし、戦闘は続いており各地で襲撃が相次いでいる
2021年4月にアメリカは9月11日までに駐留軍を完全撤退すると発表した
半数近くの都市がタリバンの支配下にある状況下であった

5月以降アメリカやNATO軍の撤退が本格化するとタリバンは攻勢を強めた
8月以降州都が陥落し始めた、政府による支援がほとんど受けられない状況にあると言われている

8月15日には首都カーブルが陥落した

考察

アメリカが駐留を開始してから20年で何故変われなかったのか?
私は二つの理由があると考える

1. 政府の腐敗が酷く、アメリカ任せだったこと
2. 抜本的な問題解決を行おうとしなかったこと

政府の腐敗に関して
アフガニスタン軍の教育が行き届かない
地方の復興が進まない
一般の治安維持まで手が回っていない
などの問題が改善されなかった
そのため、国民がタリバンに頼ることがあると言われている

腐敗の例
アフガニスタン陸軍や警察で、実在しない兵士を水増しして登録、その給与を司令官が横領
政敵をタリバンとして告発し、アメリカ軍の攻撃を要請


根本的な問題について
国民の2/3は1日2ドル以下で生活しており、国家予算の7割を国際支援に依存していたり、ヘロインやアヘンの生産が主要な産業になっており、他の産業が発達していない
西洋的な教育などが急進的で地域の理解を完全には得られていなかった

こういった原因の解決を行うことなく、治安が悪いならばアメリカ軍が駐留していればいいといった場当たり的な対処を行っていたのが遠因であると考える

喫緊の課題



米軍や国連に協力していたアフガニスタン国民に危険が及ぶ可能性が高い事特に女性に対する人権侵害が発生する可能性が高い事などが考えられる
これに対し各国がどのように対応するのか注目される

一番の問題は国連による治安維持活動がほぼ機能していないことである
今回大規模な戦闘がなく首都が陥落した背景には、各国の軍の支援なしにアフガニスタン軍が勝てるビジョンを持っていないことがある。タリバンに敗北することがほぼ確定してしまった状態で、戦闘を継続することは逃げる場所のないアフガニスタン軍には難しいだろう。家族なども含めて報復などの危険にさらされることになるからだ。

タリバンをアメリカが排除した
そして、国連による治安維持をうけた
そして、再度タリバンの支配下に入り協力者が処刑される
そういった事態になれば、たとえまたタリバンを排除してもアフガニスタン国民がタリバンに対して抵抗することは困難になると考える

こういった事件が広く知られると悪者探しが始まることが多い

しかし、アメリカや国連にのみ問題があるというわけではないしアフガニスタンや興味を持たない我々にも問題がある



アフガニスタン国民が自立して生活できるように支援するべきである
武装組織に武器を提供した各国に責任がある
アフガニスタン国民が自発的に行動を行うべきである

すべて正しいと思うが

どこまで支援すればいいのか?
各国の責任は無制限で追及されるのか?
明日生きているか分からない状況下で?
というのも正しい疑問であると思う

今回のタリバンの攻勢はアメリカ軍の撤退がキーポイントになっている。アメリカ軍の撤退が本格化し始めた段階でタリバンの攻勢は強まった。その段階で、計画の見直しも可能だったのではないだろうか?また、国連による監視が意味のあるものであれば違ったのではないだろうか?そう思うかもしれないが

アメリカ軍の撤退がカーブル陥落につながっているとして
アメリカ軍は撤退してはいけなかったのだろうか?

予算・自国民の命が掛かっているし、アメリカ軍が駐留しないといけない理由もない
多くの国は駐留していないのにアメリカは駐留しなければならないのか?
有限の予算をコロナ対策など自国に使わず、人道支援に用いないといけないのか?

安易に原因を決めつけても解決しないものは多い
現実に存在する問題は、複数の要素が複雑に絡み合って発生している
分解し、重要なものから解決していくのが基本となる

我々がしなければならないのは、誰が悪かったではなく
何が悪くてそういう事態が発生し、どうすれば起こりにくくなるのかを考えることである


特に歴史に関しては「どうしたらよかった」とはいくらでもいえるが、本当にそうすればよかったのかは誰にも検証することができない
誰が悪いと吊し上げを行うのではなく、どうすればより良い方向に進められるかを考えるのが余裕のある人々の責務であると考える
今回私たちが考えなければいけないのは
「どうすれば各国の負担を減らしながら支援をすることができたのか」
「どういった支援が現実に即した(受け入れられる)支援だったのか」

であると考える

他国のことまで面倒を見ることは出来ないと思うかもしれないが、それが今回の件につながっているように私は思う


何ができるか


未来を変えていく努力を行うべきであると考える
私が考える個人で出来る支援は「注視すること」である

アフガニスタン国民の保護
個人でどうにかすることはできないし、しようとしてはいけない
アフガニスタンの情勢を注視していることが力になる
SNSの投稿、署名、募金などでもいいし
政治家にコメントを求めるというのも一つである


支援のありかたを変える事
現在の国連の活動はタリバンには有効でなかったと考えられる
「どうすればいいのか」興味を持つ人が増えれば改善策が見つかる可能性は高まる
また国連も、注目されていれば改善策を出さないわけにはいかなくなる


どちらも、「注視する」ことに意味がある


補足

タリバンとは?
1994年に誕生したパシュトゥン人(アフガニスタン中南部に多い)を中心とする団体
登場当初は汚職や暴力的支配の排除などで地域住民に歓迎された
しかし、パシュトゥン人のルールによる厳格な支配を強めていき徐々に支持を失った
具体的には
公開処刑や、手足の切断、ブルカの着用の強要、テレビや音楽の排除、少女が学校に通う事を否定など
アルカイーダとも関係を持ち、ビン・ラディンの引き渡しを拒否しアメリカに攻撃された

何故政府軍は戦闘を行わなかったのか?

抵抗した場合国民の犠牲が増えることを恐れている
タリバンは政府軍や都市に降伏を要求しており、「市民の安全」を保障すると主張している
抵抗し、勝利すれば問題はないが、アメリカ軍は撤退し勝てる見込みがない

アメリカ軍は何故撤退したのか?

タリバンとアフガニスタン政府の和平交渉が進んでいたことなどが挙げられる
タリバンからの要請でアメリカ軍の撤退が和平の条件として提示されていた
ただし、撤退が本格化すると攻撃は激化し一部メディアでは「どこまで攻撃すれば各国が介入するかをタリバンは確認している」など分析されていた
また、アメリカの情報機関は「アメリカの撤退から6か月以内にアフガニスタン政府は倒れる」と予想をしていたと報じられている

アメリカ軍が撤退すればアフガニスタンはタリバンの手に落ちるというのは各国織り込み済みだったはずである

2020年2月 アメリカとタリバンがドーハで合意 駐留軍撤退を約束

2021年4月 バイデン大統領が9月11日までに米軍を撤退させると発表

2021年5月 米軍とNATO各国軍の撤退開始
       タリバンは南部ヘルマンド州で大攻勢開始

2021年7月 タリバンが半数の州を制圧






誤りなどがありましたらご指摘いただけますと助かります


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