ポジティブでいることを強制させられる世界で。

インターネットはとても便利なものだ。Excelで困ったとき、検索欄に文章を打ち込めば、ドンピシャの式やマクロが出てきてくれる。

その他にも、どの電車に乗ればよいか、私が買おうと思っている製品は先達者はどのように評価しているのか、ちょっとたるんできた身体を引き締めたいとき、どういうトレーニングをすればよいのか、調べればほとんど知ることができる。

何かをやろうとしている時にはインターネットは便利でとても強い。しかしながら、時々そのポジティブさみたいなものに嫌気が差すときがある。

時折Twitterに流れてくる自己啓発のようなツイートがとても苦手だ。もともと私の性格がひねくれているせいもあるのだろうが、ああいう類のツイートを見るたびに、なんとも言えない嫌な気分になる。

頑張れ、まだやれる、みんなでゴールを目指そう、ライフハック、人生を有意義に過ごすために……そういう諸々のポジティブさが一般化されて流れることに強烈な抵抗感を覚えるのだ。

私が今からやろうと決めた自発的なことに関して、インターネットにアシストしてもらうことには何の躊躇いもない。けれど、大して気を遣うつもりのないこと、あるいはどうでもよいことにまでそういう気持ちで向き合うように言われる筋合いまではない。

お酒は痛飲したいし、夜更けまでゲームをしていたいし、昼まで寝ていたい。なんとなく缶コーヒーを飲みたいし、ちょっと無駄に駄菓子を買いたい。そういう私の私による私のための完璧などうでもよい余暇に水を差すようなツイートが流れてきたりしたならば、怒り心頭である。

そもそもどうでもよいことばかりの集合体であるTwitterでそういうのが流れてくるのが気にくわない。私のコーチは私が決める。あなたは何でそんなにみんなのコーチになりたがるのか、しかも無責任に!

でもまあ、そういうのに励まされる人もいるんだろう。こういう物言いもまたどうでもよいことのひとつだ。

ただ、繰り返すけれどポジティブでいろと自分の倫理観と責任感を人質にとるような言い回しをするツイートは本当に嫌いである。

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