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無思考なニーチェ#06「シング・イット・シット・フェイス」

※この話はフィクションです。実在の「森本」とは、なんの関係もありません。

モリモトはうちの真裏に住んでいる。
だから、お互いに生活音は家の中にいてもよく聞こえる。
夜の11時から深夜2時ぐらいを回っても、よく哄笑というレベルのモリモトの笑い声が聞こえてくる。
RPGで例えると、ラスボスが主人公以外を全滅させたときの笑いかただ。
独りでなにをそんなに笑うことがあるんだろうと思うと、風呂に入っている時でも釣られてこっちも笑ってしまう。
家で寄席でもしてんのかっていうほど、とにかく気持ち悪いぐらい、よく独りで笑っている。

うちの咲ちゃんが洗濯物を干しに行く時、モリモトの家の前を通り過ぎるが、風呂場の窓にはすだれが一枚ぶら下がっているだけなので、夏場などは昼間にモリモトが行水している姿が見えるらしい。
そんな時、モリモトは訳のわからない歌を絶唱しているという。
それは、鼻歌なんてかわいいもんじゃなくて、少し甲高い「ひーーーーー!」というようなものだと聞く。
近所の人たちも、さぞかし怯えていることだろう。

モリモトは、歌うことが好きだ。
暇なときは(常に暇なのだが)、一人カラオケに行くこともあるらしい。
高松で時間つぶしに一緒に行ったこともあるし、また別の友人と連れ立って四人で行ったこともある。
モリモトは写真を撮られることを嫌がったり、自分の話を聞かれても困ったりするくせに、人前で歌うことには恥じらいがない。
歌に自信でもあるのだろうかとも思うが、知っているだれよりも上手いという訳ではない。
別に下手ではないが、「表現」という概念を持たないモリモトの歌には、特に心を動かされるなにかがある訳でもない。
モリモトの「自我」と「表現」の関係は、ことごとく謎だ。
まあ、野生の雄叫びみたいなものなんだろう。
歌を歌う事自体に快感があるっていうのは、人様にだってわかる。

モリモトのカラオケスタイルは一種独特なものがある。
だいたいなぜかキーの高い曲を好んで歌うため、2曲目ぐらいの割と序盤から「魂を削る」スタイルで歌い始める。
これもなぜかわからないが、モリモトは原曲キーで歌うことに固執しているので、毎回なぜか喉をつぶすように苦悶の表情を浮かべながら歌う。
わたしたちは自分のキーで歌える歌を探したり、自分のキーで歌えるようにキーを下げたりしながら、およそ2時間の長丁場をいかに無理なく楽しく歌うかを考えながら歌う。
それなのに、モリモトは違う。
1曲目から原曲高音キーの歌をひたすら喉で歌う。
最後のほうになると、無理がたたってえずきかけているときもある。
カラオケで熱唱した挙げ句、「おえっ」ってなってる人のことを、わたしはモリモトを除いては後にも先にも知らない。

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