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[読書感想]児童書と言う勿れ ~『なんで信長はお城を建てたの?―「お城」のはじまりを探す旅 (13歳からの考古学) 』~(2692文字)

■今回 読んだ本

■誰が書いたの

畑中 英二(はたなか えいじ)氏。
滋賀県教育委員会で、安土城をはじめとした遺跡の調査安土城の発掘調査に関わった研究者で、現在は京都市立芸術大学美 術学部 総合芸術学科 教授。
著書に『ここまでわかった甲賀忍者』、『織田信長の城郭』(共著)など。

■どんな本なの

この本のお話の主人公は、京都生まれの京都育ちで、中学生になったばかりの13歳の望月穂高(もちづき ほたか)くん。

お父さんの望月朝日(もちづき あさひ)さんー自称歴史に詳しく、趣味は百名城巡りーと会話をしているうちに、小学5年の頃に連れて行ってもらった安土城に行きたくなり、土曜日にひとりでちょっとした冒険の旅に出かけるのでしたー。

児童書でお城の話ですか。まぁ、子供向けだから、浅く、優しく、わかりやすく書いてるんだろうなぁ~。どれどれ、お兄さんが軽く読んであげましょうかね(ΦωΦ)。
・・・などと思ったら、この本、マジでパネェっす!=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)。

石垣の見方は二つあって、一つは石の積み方、二つ目は角度
(『なんで信長はお城を建てたの?』著:畑中 英二 より引用)

えっ、そ、そうなんでっか・・・Σ(OωO )。

安土城は主に山や川などに転がっている石を集めてきて、バランスを考えながら積み上げているもので、野面積みと呼ばれるもの。一方で二条城の堀川通り沿いの東大手門周辺の石垣(略)あれは整形したブロックを積み上げたようなもので、安土城と違って石と石との間に隙間はなかったよね?
こちらは切込接(きりこみはぎ)と呼ばれるものやねん。
切込接は、大阪夏の陣は終わった頃から盛んにみられるようになるね。
(『なんで信長はお城を建てたの?』著:畑中 英二 より引用)

お父はん、13歳の子ども相手にそこまで説明せんでもええんとちゃいますやろか・・・ヾ(゚д゚; )。

お城は政治のシンボル(略)やけど、本質的には防御性がないとあかんねん。(略)なので堀を作ったり塀を作ったりする。けど、ただ敵の行く手を遮るだけではなくて、心理的に不安にさせながら防御する方法がある。伝黒金門(でんくろがねもん)は見て来たよね?。(略)安土城はそういう防御のギミックは比較的少ないけど、姫路城はギミックだらけで天守にたどりつくまでに疲れ果ててしまうくらいやで
(『なんで信長はお城を建てたの?』著:畑中 英二 より引用)

お父はん、あんた、子供を沼に誘ってないか? ( ºωº ; )

かくして、望月穂高(もちづき ほたか)くんはひとりで姫路城へ。
現地で姫路城ボランティアガイドさんから、これでもかと姫路城の城郭ギミックについて説明を聞くことになります。

じゃ、ともに城攻めを始めようか。(略)ただ、大事なのは妄想力。堅固に守りを固めている姫路城を攻め入るという気持ちだけは忘れないようにね
(『なんで信長はお城を建てたの?』著:畑中 英二 より引用)

攻め入るって・・・ガイドさん、そんな気持ちで姫路城にくる人、おらんやろ ヾ(゚д゚; )

姫路城の石垣は、石棺や石灯籠、五輪塔、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、石臼といったものが石垣につかわれていたっけ。
安土城で石仏や仏足石が石垣になっているのを見た時には、信長が仏教嫌いだからと理解していたけれど、別のところで使っていた石を石垣で使うのは一般的なことかと思い、しらべてみることにした。
(略)
 姫路城と大和郡山城、福知山城が紹介されていた。
 奈良県の大和郡山城を見てみると、写真で見ても簡単にわかるくらい石仏や五輪塔などが石垣として使われていた。その数は1000点にも及ぶらしい。次に京都府の福知山城を見た。ここも500点以上が確認されているのだという。
 さらにネットで調べてみると、諸説あるが、こうしたものは基本的には「石材」として近隣から集められたという。
要するに「リサイクル」ってことだよね。
石塔であることが見えるように積まれているので、「使わせてもらっています」的な要素があるのではないか、と書いてあった。
 
疑問に思うことを調べて理解すると、誰かに話したくなる。とはいえ、興味がなさそうな人に話して迷惑がられるのも避けたいし・・・、(略)聞いてくれそうな身近な人といえば・・・やっぱりお父さんか・・・。
(『なんで信長はお城を建てたの?』著:畑中 英二 より引用)

あかんって。このままやったら、クラスで浮いてまうで、穂高くん。ほどほどにしいやヾ(゚д゚; )

そして、穂高くんは甲賀・上野城でお城イベントに参加し、再び安土城では発掘調査に参加します。どっぷり沼につかってますがなヾ(゚д゚; )。

発掘調査をすると『何か』が見つかったり、出土したりします。これはかならずしも歴史上の『特定の出来事』を示しているわけではありません。(略)
例えば、ホタカ君が言った『天皇行幸』です。
私たちは発掘調査でわかった類似するものを集めて、合理的な解釈を試みます。
長く長く延びる直線の大手道は、当時他に類するものがなかったものですから、天皇を安土にお迎えする『天皇行幸』という特殊な事情によるものだと解釈しました。(略)あくまでも解釈なんですね。

そもそもですが、約180メートルは直線だけれども、その先は(略)カクカクと曲がりながら登っていきますよね。
これはどのように説明すればいいのでしょうね。
(略)
私たちが見ることができるのは、行幸が実現しそうになっていて、信長没後も機能していた安土城ですから、多様な解釈が可能なんです。
(略)
物事を明らかにするしようとする時に、基本となる事柄は事実でないといけませんよね。
そういう意味で、お城の実態を明らかにする上でも発掘調査を行うことは大きな意義がありますね。
(『なんで信長はお城を建てたの?』著:畑中 英二 より引用)

あかん、出てくる人みんな、穂高くんを沼へと誘おうとしてますやん。穂高くん、気を確かにな・・・ヾ(゚д゚; )

そもそもお城は、城主のためだけでなく、城下に住む人たちにとっても必要なものだったんだ。
人はなぜお城を建てるのか。
僕はお城という深い沼にすっかりハマってしまった。これからもいろいろな沼にハマっていくぞ!
(『なんで信長はお城を建てたの?』著:畑中 英二 より引用)

さいですか・・・ (;-ω-)。

とても児童向けとは思えない、非常に密度の濃いお城の楽しみ方を学べる本でした。
とても勉強になりましたよ、図書館の児童書コーナーに行くのは勇気がいったけどね!

この本を読んだ子供たちは、はたしてお城の、そして歴史の沼にはまるのでしょうか。
かもーん (* ̄  ̄)ノ

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