【歴史のすみっこ話】~発掘調査 徳川将軍のお墓・皇女和宮~
昭和33年夏から昭和35年1月までの期間、増上寺徳川将軍墓の改葬に伴い、総合的学術調査が行われました。
その調査結果は『増上寺 徳川将軍墓とその遺品・遺体』として書籍になっています。お値段お高めですが😅
ただし専門学術書という面があり、より平易な出版物として、出された本もあります。
それが、『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』です。お安くなったとは言え、それでもおいそれとは買いにくいお値段ですね😅。
幸い、『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』は図書館にありましたので、借りれることができました。
ちゃんと頭蓋骨などのお骨の写真が(モノクロですが)掲載されています。
・・・って、そこまで求めてないですから (๐_๐〣。
増上寺徳川将軍墓に埋葬されている将軍は2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂、将軍ではありませんが、正室の方も埋葬されています。
ここでは14代将軍徳川家茂の正室、静寛院(一般には「和宮」で知られている)について書いてみます。
身長は『四肢骨から復元すると143.4cmと推定され』るそうです。
これは同時代の庶民と比べても、身長の低い方であるとされています。
また頭骨計測地を調べ、現代日本人女性、江戸時代女性よりも全体として13代将軍家慶に近似していることから、著者の人類学者、鈴木尚氏は以下のように結論つけています。
ふむ、そうですか。(・ω・`)。
また、大腿骨の下端が内側にねじれているかを調べたところ、江戸時代の庶民(女性)は平均14.4°(右)、現代女性は20.8°(右)にくらべ、和宮は57°(右)もあり、これに関しても以下の考察をされています。
これも、埋葬されているのは高貴な女性ということですね。
さて、この発掘調査で、2つのミステリーがあります。
ひとつは、写真です。
写真の主は誰だったのでしょうね。
ただ、誰にせよ、和宮が自分の棺に入れて欲しいと願ったのであれば、その資料なり、関係者の証言があるはずだと思います。
それが見つかってないということは、棺を納める際に、お側に仕えていた人が気を利かせて、誰かの湿板写真を棺に入れた可能性があると思うのですが。どうなのでしょうか ( ̄ω ̄;)ウーン。
そしてもうひとつは左手です。
調査された鈴木氏自身が不思議というくらいですから、おそらくこの謎は、これからも謎のままなのでしょうねぇ🤔。
■引用資料
『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』 鈴木尚(著)
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