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[読書感想]寄り道もまた愉し ~一流になりたければ2駅前で降りなさい 最高の成果を生む「寄り道」メソッド~(2599文字)
こんにちは、『一流になりたければ2駅前で降りなさい 最高の成果を生む「寄り道」メソッド』という、うわぁ、タイトルセンスのないビジネス書だわぁ~と言いたくなるようなビジネス書(なのか?)の感想を書こうとしているのはいったい誰でしょうか?そうですボクこと、はーぼです。
つい最近、マイクロソフトのBingのAIに、noteで書いてるはーぼってどう思います?って聞いたら、そんな人は知りません的な返事をいただいたので、名前を強調してみました f^^;。
うぬれ、BingのAI、末代まで呪ってやるからな!(#゚Д゚)凸。
ところでAIに末代ってあるのでしょうか?
なんとなく悪いのはAIに認識されていないボクであって、逆恨みのような気がしてなりません。
さて本のタイトル通り寄り道をしたので、本題に戻りたいと思います。
本だけに!( ̄ー ̄) ドヤッ!
著者の成毛 眞さんは、IT業界では名の知られた人で、ご存知の方も多いと思います。ボクもその著作を数冊読ませていただいています。
とてもユニークな性格の方で、一言で言えば、絶対に上司にしたくないタイプの人です(≧▽≦)ノ。
さらに言えば、同僚にもしたくないし、部下にももちたくないし、本心を言えば、絶対に向こう三軒両隣に住んでいてほしくないと思うタイプの人です(≧▽≦)ノ。
でも、それがイイのです。
あまりにユニークな考え方をする人とは、本を通じて、その考えに触れるくらいで、適度な距離感を保った方が、いいのですYO!(≧▽≦)ノ。
ところで、ビジネス書にありがちなのが、タイトルと書かれている内容が全然ちゃうやんか事件。
でもこれはある程度仕方のないことです。
本のタイトルが出版社(編集者)が付ける場合が多いのでしょうから。版元としては売りたい気持ちから内容とあまり関係がなかっても、売れる(と思っている)タイトルをつけようとしまいます。
だから文句を言ったところで、半分は仕方がないのです。
で、やっと本題に帰って、この本ですが。
タイトルから想像されるであろう事と、実際に書かれている内容は、ものすごくかけ離れています。
でも、ちょっと待ってください。
なぜ2駅前で降りたら一流になれるか、そんな理由を本当に知りたいですか?
はい、100%一流になれるのなら、心から知りたいです!(≧▽≦)ノ。
と正直に思うものの、世の中そんな甘い訳はないですよね。
だいたい1000円にも満たない新書を読んだだけで、一流になれるって、どんだけタイパ・コスパええねん?という話ですYO!(≧▽≦)ノ。
あ、ちなみに現時点で、この本はKindle Unlimitedで無料で読めます。
尚、成毛さん自身も本書の最初のほうに書かれています。
おわかりだと思うが、タイトルの「2駅前で降りる」というのはあくまでもたとえの一つであり、1駅前でもよければ、1駅、2駅乗り越してみるのもいいだろう。
ここで言いたいのは、日常にある小さなことを変えていくのが重要だということである。
まぁ、1駅、2駅乗り越すと乗り越し料金がかかるので、お勧めしませんけどね!!(≧▽≦)ノ。
ビジネス書というよりも、「寄り道」に関して、成毛さんが思う所をまとめたエッセイ感が漂う本書ですが、タイパ・コスパが重要視される昨今のアンチテーゼとして、読んでみるのも悪くはないと思います。
私がこの本で言いたい寄り道とは、何かのついでに、実利を生まないどこかへ立ち寄ることである。
すべきことをするのではなく、しなくていいことをすることである。
そう、今まで実社会で何度となく、良識ある社会人の諸先輩方から、耳タコで聞かされた言葉。
『しなくていいことはするな、すべきことをしろ』
ーその呪いの言葉から、そろそろ自分を解き放っても良い時期ではないでしょうか。
たとえば、妄想はその一例だ。
するとすぐ、妄想は無駄だと言う人がいる。そういう人に聞きたいのは、では、妄想しなかったとして、その時間は何に使っているのかということだ。
有益なことに使っているのだろうか。
(略)
イノベーションとは得てして、寄り道から始まるのだ。
だたし、イノベーションと起こしてやろうという野心満々で妄想してもうまくはいかない。(略)
すべきは、無目的な妄想だ。
そこからしか、荒唐無稽でだからこそ世界を変えるようなアイデアは生まれないし、自分の人生に新しい輝きをもたらす発見にも出会えない。
ググって調べる前に、まず問題を自分で作れと成毛さんはいいます。
ググるのは問題を作り尽くしたその後だとー。
なんという非効率、寄り道でしょうか。
でもそれが『人は違う視点を手に入れたいのなら、ウィキペディアには書いてないことを探す寄り道』になるのだ、と言います。
明治維新をどう評価するかは人によってだいぶ異なるが、私の目にはあれは、さまざまなものを否定したイベントだった。
その一つが宗教である。
明治維新を機に、熊野大社の山道にそびえていた杉が伐採された。廃仏毀釈により熊野本宮大社、熊野速玉大社の仏堂がお取りつぶしになり(略)。
それと比べて明治の手前の江戸時代はどうであったかというと、(略)寄り道だらけの時代であった。
交通の便は今よりもずっと悪かったにもかかわらず、やれ伊勢参りだ、大山詣だとあちこちに出かけ、近場でも隅田川の向こう側やこちら側、時にはそこに船をだして遊んでいた。
まぁ、江戸時代もそれはそれでしんどいところもあったと思うのですが、いつもながら言い切りますね、成毛さん(⦿_⦿)。
美術館巡りも(略)できれば、展示内容だけでなく美術館そのものも別の場所に行ってみると、美術館共通のフォーマットや個別の工夫などが見えてくる。
それが何の役に立つのか、というのは野暮である。
寄り道とはそういうものだからだ。
何かのきっかけで、「あれ、あの作品は見たことがあるぞ」と思い出すことがあれば大成功。
それこそが教養であり、寄り道でしか手に入れられないものである。
もちろんショートカット(近道)も、人生において必要です。
でも、でもですね、そのショートカットで浮いた時間・お金・ゆとりを、人生の『寄り道』に、時には使ってみるのも、決して悪くはないでしょう。
AIを効率化のために利用し、AIにはできない『寄り道』を愉しむ。
それは神さまから人間に与えられた、贅沢のひとつなのではないかと思うのです。あ、おかわり貰えますか?(´ 。•ω•。)っ🍵~㌧。
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