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道明寺に初詣にいってきました【1654文字】

明けましておそめでとうございます。本年もうすーい投稿ですが、お付き合いいただければ幸いです。

今年2023年、例年と違うことをしようと思い、天気もいいことから、初詣に行ってきました。

なるべく移動に何時間も時間を取らず、それなりに有名なところということで、チョイスしたのが、藤井寺市にある菅原道真公ゆかりの道明寺天満宮です。(藤井寺市にまた来てしまいました😅)

近鉄南大阪線、またはJR大和路線柏原駅から近鉄道明寺線に乗り換えて、道明寺駅で降ります。そこから徒歩で数分程度です。


道明寺の大まかな歴史みたいな?

今の奈良県葛城市のあたりに、当麻蹴速(たいまのけはや)という、名前からしてちょっとアブナイ感じの(失礼)、力の強い人がいたらしいんです。
よほど自分の力に自信があったのか、俺と生死を問わない命がけの勝負をするものはいないのかぁ、いつでもどこでも誰とでも勝負を受けてやるぜ、みたいなことを言ってたんですが、それを聞いたのが垂仁天皇。

垂仁天皇は、よーしそれならこのワシが、とは言わずに、わざわざ出雲の国から、野見宿禰(のみのすくね)という、これまたガチで力の強い人を呼び寄せます。
そして当麻蹴速野見宿禰の二人に、現在で言う所の角力を取らせたんです。
当麻蹴速野見宿禰は互いに蹴り合い(当時の相撲みたいなものは蹴りがOKだったようです)、そして当麻蹴速野見宿禰に、腰を踏み折られて死んだといわれています。容赦ないな、野見宿禰😱

そして、野見宿禰は垂仁天皇から当麻蹴速の領地をもらって、仕えることになります。

垂仁天皇の皇后がお亡くなりになったときに、野見宿禰は殉死者をださないように、私が造った埴輪を墓に埋めましょうと提案し、その功績によって、土師氏の名前と現在の藤井寺市と羽曳野市付近の土地を与えられたようです。
埴輪の生みの親ですかね🤔。

時は進み、聖徳太子の頃、土師氏は自分の屋敷を寄進し、土師寺という名のお寺を建立します。
かっては五重塔もあったそうですが、織田信長と三好康長の戦いによる火災で焼失したそうです。(えらい迷惑な話ですね😓)

菅原道真の曽祖父にあたる土師古人(はじふるひと)が、桓武天皇に、奈良市菅原町に住んでいるから、土師から菅原に改姓したいと願い出て、許されます。

平安時代の始まりの頃、土師寺には、菅原道真の伯母の覚寿尼(かく
じゅに)が住んでいたことから、菅原道真はちょいちょいと土師寺を訪ねます。

その菅原道真が失脚させられ、九州大宰府へと流されるときに、「世につれて浪速入江もにごるなり 道明らけき寺ぞこひしき」と歌を詠み、土師寺のの訪問を許されたそうです。(この歌にある「道明」とは菅原道真の幼名ともいわれています)
そして伯母の覚寿尼と、別れを惜しむのですが、「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音の なからん里の暁もかな」(鶏が鳴いてしまうからこそ、別れを急ぐことになってしまう。夜明けにその声が聞こえない里であればどんなによいであろうか)という歌を残して九州大宰府へと旅立ちます。
このことから、以降この地の人は鶏を飼わなくなったといわれています。
本当かなぁ。卵、食べれないじゃん🤔。

菅原道真の死後、道明寺に改称され、天満宮も創建されます。お寺ですが、ゆかりがあったから天満宮が創建されたのでしょうか🤔。

これは周辺案内図

ちょっと足をのばせば古墳もあります。元旦の今日は天気も良く、そんなに寒くなかったのですが、また今度😅。

密です密です

さて、参拝客の後をついていってお参りを・・・と思ったのですが、ウィズな時代、人が密すぎて参拝を断念しました。
ソーシャルディスタンスとは!

こいつぁ春から縁起が・・・微妙

その代わりといってはなんですが、お守り(各種千円)購入と、おみくじ(200円)をひいてきました。
おみくじは小吉でした。
なんだろう、この文言のどうとでもとれる微妙感は・・・
せめて元旦くらい全部「大吉」にしてくれたらええですやん (´д`)

お参りができなかったので、また暖かくなったらお参りに行こうと思います。
ここのところずっと休みは引きこもっていたら、体重も体調もえらい感じなっているので、今年は少し出歩こうと思っています。

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