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歴史の断片-1936.7.25- ブラックパンサー脱走、帝都震撼ス(其の壱)1853文字

1936年(昭和11年)の歴史的出来事と言えば、2月26日に起きた2.26事件や、8月に開催されたベルリン・オリンピック大会、世間を騒がせた阿部貞事件等々数多くありますが、今回は上野動物園で起きたブラックパンサー(黒豹)脱走の顛末について書かせていただこうと思います。


1936年(昭和11年)5月18日に、現在のタイ王国から黒豹(牝5歳)が、上野動物園に来ました。
人間慣れしていないためか、いつもうずくまっていたそうです。

7月24日の夜。非情に暑かったため、まだ日本の環境に慣れていない黒豹を気遣い、動物園では夜の間だけでも外側の檻に出してやろうということで、黒豹を移動させます。

そして翌日、1936年(昭和11年)7月25日の朝5時。
飼育係が、移動させた外の檻の中から黒豹の姿が消えていることに気付きます。

頑丈なる檻を破って、黒豹が檻の外へと脱走していたのです。

ちなみに、どうやって檻から脱走したのか、その方法を作家の小林信彦氏が上野動物園に確認しています。
上野動物園からの回答は、以下のとおりです。

檻の天井は鉄棒が放射状になっていますから、末広がりの部分から、細いからだが偶然抜け出したのではないでしょうか

「和菓子屋の息子」小林信彦:著

尚、当時(1936.7.26)の読売新聞の記事には『直径5cmの鉄棒を曲げて脱走』と書かれていますが、さすがにこの鉄棒を曲げるというのは、新聞記事の誤りでは、と思うのですが。

ともあれ、上野動物園は、大変なことになったと大騒ぎです。
急遽、入園を禁止にし、園長を先頭に、非常招集をかけられた約100名の園丁(動物園関係者のことでしょうか?)が、猟銃、ピストル、棍棒などでものものしく武装して動物園内をくまなく探索します。

当時の法律では園丁(動物園関係者?)は猟銃やピストルを携帯してもよかったということでしょうか?🤔。
いずれにしても、黒豹相手に、棍棒では役に立たない気もしますが。

午前11時頃。探索の甲斐なく黒豹は見つからず、動物園の柵を飛び越えて上野公園へと脱走したらしい形跡があったため、動物園は上野署へ連絡します。

正午ごろに上野公園内の人々を避難させ、上野公園周囲の一般交通を禁止して、園丁・事務員100名を含む、上野警察署、警視庁特別警備隊(通称:警視庁新撰組)ら、総員約252名軍用犬15頭が上野公園をとりまいて、一斉に捜査が開始されました。

午後1時。公園内を探しつくしても、一向に黒豹は見つかりません。
割を食ったのは他の動物たちでした。
なにしろ職員総出の捜査が敢行されたため、朝も昼も餌にありつけなかったため、動物園内に餌を求める猛獣たちの咆哮がこだましたと言われています。

JOAK(東京放送局)は、ラジオ放送で注意を呼びかけます。

脱走した豹は動物園付近に上野公園内に潜んでいる模様ですが、黒豹は昼間は動かず夜間になって行動を起こす習性を持っていますからご注意ください。人間には直接飛びかかるようなことはしませんから棒などを持たないで外出してください。発見次第すぐに警察にご報告下さい

『東京の下町』著:吉村昭

小林信彦氏は前述の書籍にて『危険だから夜は出歩かないように、というアナウンスを耳にした記憶がある。ラジオだったかどうか』と記述しています。

作家の吉村昭氏の随筆にも、この騒動が書かれています。(この事件当時、吉村昭氏は小学四年生)

上野公園に近い私の町では、大騒ぎになった。各町会では、家の戸を固くとざして外へ出てはならぬ、と告げてまわる。雨戸をたてた風の入らぬ家の中で坐ったり立ったりしていたが、今にも戸をやぶってヒョウの黒い体がとびこんでくるような予感におびえていた。

『東京の下町』著:吉村昭

上野署には市民からの電話が殺到し、職員は対応に忙殺されたそうですが、中には『自分は豪州で黒豹にぶつかったことがある。あれは猫によく似ていて人の目をねらい三間位さきからとびかかる習性がある、豹狩りに出る人は剣道の面をつけていったほうがいい」という電話もあったそうです。
(一間は約1.8mですので、三間なら約5.4mになります)

剣道の面をつけて捜査はされなかったようですが😅

一方、JOAK(東京放送局)では、この事件を真夏のスリル事件として実況放送したいと逓信省・警視庁・動物園などと交渉を行ったそうです。

嗚呼ーー。黒豹よ、いずこ?😵‍💫【続く】


■参考・引用資料
 〇『和菓子屋の息子』小林信彦(著)
 〇『東京の下町』吉村昭(著)
 〇読売新聞(1936年7月26日)

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