梅酒のチョーヤが大阪の企業だとテレビを見て、初めて知りましたYo(⦿_⦿)

♬さぁ~らりとした~ う・め・しゅ~
大阪に住んでいる人なら、耳に馴染みのCMソング。そう、それが『チョーヤの梅酒』。

先日、ローカル番組『日経スペシャル もしものマネー道もしマネ』を見ていたら、『チョーヤの梅酒』が特集されていました。

なんと、『チョーヤの梅酒』でお馴染みのチョーヤは、大阪は羽曳野市に本社のある企業でした。

なんと!大阪のしかも羽曳野市に本社があったとは!(⦿_⦿)

本社は、近鉄の無人駅を降りてすぐ。

本社最寄りの駅が無人駅って、意外ですね(⦿_⦿)

チョーヤはもともとはブドウ栽培から始まり、ブドウ酒を製造販売していたのでした。

あ~、大阪はかってブドウで有名だったからな~。でも、それがなぜ梅酒に?(⦿_⦿)

創業者の金銅住太郎氏が、1957年に60歳を機に引退を決意し、事業を三人のご子息たちに譲って、引退旅行としてヨーロッパに行ったのでした。

ヨーロッパ旅行でフランスのワイナリーを訪れ本場のブドウ酒を味わったところ、本場のワインの品質・味は自分が作って来たブドウ酒をはるかに上回っていたことを知るのでした。
これが日本に入ってきたら、日本のブドウ酒は太刀打ちできるものではないと、危機感を募らせます。
当時は輸入制限があって、外国産のブドウ酒は日本に自由に入って来ていなかったのですが、輸入の自由化がなった暁にはー。

ブドウ酒事業の将来を危惧した金銅住太郎氏は、帰国後にご子息を招集し、自分たちが生き残るためには、ブドウ酒に見切りをつけて、『世界で勝負できて、日本でしか作れない酒を造ることしかない』と宣言するのでした。

日本でしか作れない酒ではありますが、同時にそれは日本の他社があまり手掛けていない酒で、かといって、突拍子もないものではなく消費者に親しみやすいもの、でなくてなならなかったんですね、条件のハードル、高っ!(⦿_⦿)。

そしてその条件をすべて満たしたのが、ウメッシュ!(⦿_⦿)。
梅は欧米に無く、質量ともに日本が世界一で、当時は梅酒は家庭でつくるのが一般的でメーカーも商品にしていないけれど、消費者からは味も健康にいいことも認知されていて、おまけに大阪のお隣は日本一の梅の産地、和歌山県!。たしかに条件はそろっていますね(⦿_⦿)。

1959年に梅酒を販売。しかし、そんなにすんなりと梅酒事業は成功することもなくー。

当時は、梅酒といえば家庭で作るもの。材料費など原価を知っている消費者が、わざわざ買うのか、と販売店はお店になかなか梅酒を置いてくれません。
うーん、かって天然水やお茶がお店で販売された時もそんな感じだったのかもしれませんね(⦿_⦿)。

1962年には酒税法が改正され、法律上は家庭で、酒税免許をもたずに梅酒を作ることは禁止されていたのが、梅酒づくりが認められることで、空前のホームリカーブーム到来!。そして1970年にはワインの貿易制限が撤廃!アゲインスト!(⦿_⦿)。

そして梅酒販売10年が過ぎた1972年。攻めの作戦として、梅酒が買えることを知ってもらうため、『金の続く限りコマーシャルを打ち続ける』ことを決断!(⦿_⦿)。

最初のCMには、チョーヤを知ってもらおうと、人気漫才師のミヤコ蝶々さんを起用します。もともと社名が蝶矢だったしなぁ(⦿_⦿)。

それでも流れは変わらなかったのですが、1975年から急に梅酒が売れ始めます。核家族化でライフスタイルが変わり、梅酒を作らない家庭が増えたんですね(⦿_⦿)。

見切り千両という言葉もありますが、継続することで時代が順風になることもありますね (⦿_⦿)。

諦めたらそこで試合終了ですよ。安西先生、梅酒を飲んでみたいです(⦿_⦿)。

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