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ただ単純なこと【1000文字】

ボクが朝食で食べているのはPasco(敷島製パン)です。

この敷島製パンさんに関する、コオロギパウダー入り商品から発生した情報がSNSで流れているようです。

敷島製パンは創業間もない時から、被災地支援を行ってきた企業です。

創業からわずか3年後の大正12年(1923年)、関東大震災が起こります。当時、敷島製パンは関東地方には進出していませんでしたが、地震の知らせを聞くやいなや、工場をフル稼働。食パンとコッペパンを救援物資としてお届けし、被災地を支援しました

上記 https://intojapanwaraku.com/gourmet/107352/  より引用

昭和34年(1959年)に起きた伊勢湾台風は、敷島製パンのある東海地方を直撃した大型台風でした。幸いにも本社工場と岐阜工場、豊橋工場に大きな被害がなかったので、ただちに工場を動かして、支援のためのパン作りを始めました。その数は100万食以上にも及び、70台のトラックで各地に輸送。水没して孤立した地域には、いかだでパンを運び、被災した特約店にはお見舞金をお届けしました

上記 https://intojapanwaraku.com/gourmet/107352/  より引用

平成7年(1995年)に近畿地方を襲った阪神・淡路大震災では、神戸冷食プラントと大阪豊中工場が被災し、製造がストップしているにも関わらず、地震後の7日間、毎日菓子パン3万個を大阪昭和工場から自衛隊の大型ヘリコプターで被災地に届けます。その後も3ヶ月間、パンや弁当で3万4千世帯分を支援。

上記 https://intojapanwaraku.com/gourmet/107352/  より引用

平成23年(2011年)東日本大震災では、パスコ利根工場とパスコ埼玉工場が被災し、その他の工場も大規模な計画停電などで一部操業停止。原材料の仕入れが難しくなり、一部の商品は製造できない状況となる中、それでも被災地に届けるパンを作り続けました。

上記 https://intojapanwaraku.com/gourmet/107352/  より引用

ボクはコオロギパウダーの入ったパンは食べませんが、コオロギパウダーが入っていると明記されていないPascoのライ麦パンはこれからも食べ続けます。(明記されたら食べませんが

本当にそれだけの、シンプルなことなんじゃないかなと思ってます。

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