Photo by happy1clover ただ単純なこと【1000文字】 41 はーぼ 2023年3月1日 23:21 ボクが朝食で食べているのはPasco(敷島製パン)です。この敷島製パンさんに関する、コオロギパウダー入り商品から発生した情報がSNSで流れているようです。敷島製パンは創業間もない時から、被災地支援を行ってきた企業です。 みんなの笑顔のために。被災地を支援し続けたPasco敷島製パンの100年の歴史 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン パンをこねていると不思議と心が和らぎます。オーブンに入れたパンの焼ける香ばしい匂いには、誰もがワクワクします。新型コロナウ intojapanwaraku.com 創業からわずか3年後の大正12年(1923年)、関東大震災が起こります。当時、敷島製パンは関東地方には進出していませんでしたが、地震の知らせを聞くやいなや、工場をフル稼働。食パンとコッペパンを救援物資としてお届けし、被災地を支援しました上記 https://intojapanwaraku.com/gourmet/107352/ より引用昭和34年(1959年)に起きた伊勢湾台風は、敷島製パンのある東海地方を直撃した大型台風でした。幸いにも本社工場と岐阜工場、豊橋工場に大きな被害がなかったので、ただちに工場を動かして、支援のためのパン作りを始めました。その数は100万食以上にも及び、70台のトラックで各地に輸送。水没して孤立した地域には、いかだでパンを運び、被災した特約店にはお見舞金をお届けしました上記 https://intojapanwaraku.com/gourmet/107352/ より引用平成7年(1995年)に近畿地方を襲った阪神・淡路大震災では、神戸冷食プラントと大阪豊中工場が被災し、製造がストップしているにも関わらず、地震後の7日間、毎日菓子パン3万個を大阪昭和工場から自衛隊の大型ヘリコプターで被災地に届けます。その後も3ヶ月間、パンや弁当で3万4千世帯分を支援。上記 https://intojapanwaraku.com/gourmet/107352/ より引用平成23年(2011年)東日本大震災では、パスコ利根工場とパスコ埼玉工場が被災し、その他の工場も大規模な計画停電などで一部操業停止。原材料の仕入れが難しくなり、一部の商品は製造できない状況となる中、それでも被災地に届けるパンを作り続けました。上記 https://intojapanwaraku.com/gourmet/107352/ より引用ボクはコオロギパウダーの入ったパンは食べませんが、コオロギパウダーが入っていると明記されていないPascoのライ麦パンはこれからも食べ続けます。(明記されたら食べませんが)本当にそれだけの、シンプルなことなんじゃないかなと思ってます。 ダウンロード copy #雑感 #シンプルなこと 41 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート