見出し画像

【エッセイ】新社会人はセイウチに悩む

高校を卒業して社会人になった。まだ誕生日までほぼ半年あったので、ボクは18歳という多感な年齢の前半を高校生、後半を社会人で過ごすことになった。
(ちなみに大学に進学しなかったのは、父親から学費を出せないから働けと言われたことと、ボク自身勉強が嫌いだった&働いて自由に使えるお金が欲しかったという、奇跡的な利害関係の一致によるものである)

学生服で学校に通っていたモラトリアムの塊だった世間知らずの高校生が、春になると似合わないスーツを身にまとい、通勤カバンを手に会社に通うサラリーマンになった。生活環境も激変した。
 
それはあたかも日本史における、幕末期から明治維新へといたる日本社会の変動に匹敵する・・・・というのは、さすがに言い過ぎだと思う😅。

ともあれ、社会のルールもわからないボクにとって、それまで接点がほとんどなかった大人たちが営む、暗黙の了解で成り立っている『会社』と『社会』は、疑問や謎や刺激などに満ち満ちていた。

ボクが入社した会社は製造業のカテゴリーに入る会社で、普通科だったボクはある部門の事務職に配属された。
とはいうももの、数か月前まではモラトリアムの塊だった学生である。まともに仕事ができるわけでもなく、なんなら電話対応ひとつ満足にできないのである。
つまりは、まだまだ使えないやつ、なのである。
そんなボクが社会人になってほぼ最初に覚えたことは、会社には奇妙な略語が存在する、ということだった。

そのひとつがセイウチだ。そのことを書こうと思う。

入社して間もない時、ボクが先輩社員に命じられて資料の整理をしていた時、別の先輩社員の人からー先輩といってもその人は40代半ばで、親子ほど年が離れているので、精々2歳しか年の差がなかった人たちとすごしていた学生時代とは違い、先輩と認識するにはものすごく違和感があったがー、『XXXX(ボクの名前)、オレ、ちょっとセイウチに行ってくるわ』といって部屋から出て行ったのである。

セイウチ・・・ボクの脳裏にある動物が浮かんだ。日本人のほぼ全員が、セイウチと聞いて思い浮かべる、北の海にいるあいつだ。

しかし、当時のボクが思い浮かべたの動物は、今にして思えば、動物園で器用に芸をするアシカだったような気がする。

というか、日本人のほぼ全員が、実物を見ずにセイウチとトドとアシカの顔の絵を描けと言われたら、みんな全て同じような区別のつかない顔の絵を描くような気が根拠なくするので、誰も当時のボクを、無知なヤツだと責めることはできないはずだ・・・たぶん、きっと、おそらくは。

ともあれ、ボクはよくわからず、「はぁ・・・」と気の抜けた返事をして、その先輩が出ていくのを見送ることしかできなかった。
頭の中では、セイウチ?セイウチってなに?セイウチに行くってどこに行ったのあの人は?と、?マークが無限ループのように浮かび続けていた。

困った状況になった、と思った。
誰かが部屋に入って来て、『あれ、〇〇〇(セイウチに行ってくると言った先輩の名前)は何処にいった?』と聞かれてどう返事をするか、についてである。

その先輩が正しい日本語を使ったという確信がなかったのである。
『セイウチに行ってくるわ』は間違った日本語で、正しくは『セイウチを見に行ってくるわ』だった可能性もあるからだ。
 
就業時間内に、涼しい顔して動物園にセイウチを見に行く社員がいるか?という疑問も思わなくもなかったが。
 
多くの人は人生に疲れると、海を見に行きたくなるという。
中にはセイウチを見に行きたくなる人もいるのだろう(かなりレアな気がするが)。

しかし、○○○先輩の行先を聞かれて、『〇〇〇さんは、セイウチに行ってます』と答えたら、『はぁ?お前なに言ってるの?意味わかんね』と言われるかもしれない。そんな危惧があった。
 
ならば正しい日本語に変換して『〇〇〇さんは、(理由はわかりませんが)セイウチを見に行ってます』と言うべきだろうか。
18歳のボクは悩む。悩むことは若さの特権であるが、悩むレベルがかなり低いと言わざるを得なかった。

「おきて欲しくないことの9割は実際にはおきない」という格言?があるが、言い換えれば、おきて欲しくないことの1割は確実におきるということである。
そして1割が起きた。ビンゴであった。
部屋に別の先輩社員がやってきて、〇〇〇さんが部屋にいないことを確認して、『〇〇〇はどこ?』とボクに聞いてきたのだ。

そしてボクは答えた。『あ、〇〇〇さんは、セイウチ・・・』。
日本語の良い所は(同時に悪い所でもあるが)、語尾をぼかしても会話が成立するところである。とっさにボクはもっともリスクの低いと思われる返答をした。そして、それで意味は通じた。

『あー、セイウチかー。そういえば今日は「セイウチの日」やったな』
納得して、その先輩はそういった。

セイウチの日』・・・。また謎の言葉が出てきた。
『イルカの日』という映画があったのをボクは思い出した。
『ジャッカルの日』という映画もあった。ともに、ハートウォーミングさからほど遠い、暗殺がテーマのサスペンス映画であった。

さすがに、そんなサスペンスなことではないだろうし、また社員が自由にセイウチを見に行っていい日のことだと思うほどボクも非常識な人間ではなかった。
しかし『セイウチの日』、謎の言葉だ。

『セイウチ』が、『製造打ち合わせ会議』の略だと、ボクが知るのはそれからほどなくしてであるー。

会社には奇妙な略語が存在する。社会人になってほぼ最初に覚えたことであった。
そしてそれは、その後の人生においてほとんど役にたたない知識だった。
なぜなら所属する職場を移動したからである。
だからボクは一度も『セイウチ(製造打ち合わせ会議)』に出たことはない。
 
そしてボクは、未だに北の海にいるセイウチの顔を、正確に心に思い浮かべることができないでいる😓。
ちなみにこの投稿で使わせていただいた写真は、トドの写真である。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?