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小説・Bakumatsu negotiators=和親条約編=(13)~ドンケル・クルティウスとの交渉[1]~(2027文字)
※ご注意※
これは史実をベースにした小説であり、引用を除く大部分はフィクションです。あらかじめご注意ください。
1853年7月24日、長崎に奉行として赴任することが決まった水野忠徳に対して、老中首座・阿部正弘は蒸気船軍艦をオランダに発注する交渉を命じます。
理想としては、蒸気船軍艦を日本国内で製造できればいいのですが、可能な限り早急に軍艦を揃えるには、購入する以外に道はないと考えたのでしょう。
当時の日本にとって、軍艦購入を依頼できる西洋国家は、長崎で通商を行っていたオランダだけでした。
後年、明治中期に発表された水野忠徳の手記によると、阿部正弘からの指示内容は、以下の通りです。
一、甲比丹へ蒸気船軍艦とも献納か、又は交易品に替え持越すべきかを談判すること。
一、欄船持越交易並びに献上にて不都合なれば、別段六、七艘は御買入相成るべきに付き、早々相廻し候事に談判する事。
一、軍艦及蒸気船の雛型製造を甲比丹へ申付け、出来次第直ちに送付すべき事。
まず最初の文章は、『甲比丹(カピタン=長崎の出島にあるオランダ商館長のこと)に、「蒸気船軍艦」を幕府にタダで献納するか、もしくは(金銭でなく)交易品と交換してくれるよう談判する事』という意味でしょうか。
続いては、『「蒸気船軍艦」を交易品と交換または、(タダで)献上することがオランダにとって不都合なら、別段(=特別)に六、七艘を購入するので、早々に納品するように談判する事』という意味でしょうか。
最期は『軍艦および蒸気船の雛型(ひながた=模型)の製造を甲比丹(カピタン)に命じ、作成出来次第、直ちに(日本に)送付すべき事」という意味でしょうか。
蒸気船軍艦をタダもしくは交易品と交換できないかなどと、幕府(阿部正弘)は、随分都合のいいことを言ってる感があります。
そして、水野忠徳には、もうひとつの命が下ります。
それは、オランダ商館の館長、ドンケル・クルティウスから、日本に対するアメリカの真意は何処にあるのか、情報を得よというものでした。
ペリー来航に伴い、急遽長崎から来るようにと呼びつけられたものの、江戸に到着した時には、ペリーが去って行った後で、再び長崎に戻ることになった、通詞森山 栄之助とともに旅立った水野忠徳らが、長崎に到着したのは、1853年9月27日のことでした。
オランダ商館の館長、ドンケル・クルティウスとの「蒸気船軍艦」入手交渉の経緯の詳細はわかりませんでしたが、1853年10月に長崎奉行、水野忠徳・大沢乗哲の連名で、ドンケル・クルシウスとよく談判した結果として、報告書を幕府に提出しています。
その主な点について、以下の通りの引用します。
一、軍艦には大砲を備えるが、戦争目的だけでなく、運送の便を考えてのことであるを本国に伝えてくれ。
一、船価は予め決められないが、目安として一隻100万ギュルデンくらい
一、注文船を回送して来た人員や、代価の品を持ち帰るための船は別に来日してよい
一、船価に相当する交換品は、禁制の米であっても許すが、正金は銅であっても不可
一、帰りの船には積荷を認めるから別小商買してもよろしい
一、船の運用や航海法を教えるオランダ人の宿舎として出島の館を建増すなど、受入準備を進める。
一、教育を受ける土地の水夫や大工などを集め、選び、その手当も決める
一、「一時に数十艘の持渡は覚無き義」であるが、追々と数を増やし行く行くは「無際限申渡置き候見込」
重要な点は、軍艦、運送船併せて「数十艘」という厖大な数を幕府は考えていたこと、後の海軍伝習所を長崎に開くことをすでに予想しオランダ人教師団の受け入れ準備、水夫、大工の募集、銓衡(=選考)、手当を具体的に現地で進めること、などである。
さすがにタダで「蒸気船軍艦」の納品は無理だったようです。
尚、後にオランダより納品された「蒸気船軍艦」は観光丸(将軍徳川家定へ贈呈)、咸臨丸(購入)、朝陽丸(購入)の三艘です。
当初の六、七艘を購入予定より数が半減しているのは、「クリミア戦争」が影響しているためらしいです。
そして、同時に水野忠徳は、老中首座・阿部正弘から託されたもうひとつの命を、遂行するのでした。
日本に対するアメリカの真意は何処にあるのか。
ドンケル・クルティウスと長崎奉行、水野忠徳・大沢乗哲の会見は4日間に渡ります。
そしてこの会見から得られた情報によって、ペリーとの交渉方針が決められたのでした。
■参考文献
「幕末 五人の外国奉行」
土居 良三(著)
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